◆未完なる大器◆

ここで「フロジノーネの21番」が誰なのかを明らかにしよう。彼の名前は、フランチェス・ローディ。26歳の攻撃的MFである。前頁でエンポリのことを長々と綴ってしまったが、それはこのクラブと彼が切っても切れない関係にあるからだ。ローディは、エンポリのユースシステムで育ち、16歳という年齢でトップチームへ昇格するのだが、抜群の左足のテクニックと飛び抜けたサッカーセンスを武器に、既にこの頃から彼の存在はイタリアでは一目置かれるものであった。U-15イタリア代表時代から当世代の主軸として活躍し、以降も各ユース代表を歴任。U-21では、現A代表でもある、ラッファエーレ・パッラディーノ、ジャンパオロ・パッツィーニ、シモーネ・ペーペらと共演した。

だが、彼らと同じようにローディが順調にステップアップを果たすことはなかった。2000-2001シーズンに、エンポリ・トップチームの一員となり、プロデビューを果たしたものの、出場機会は数えることが難しいほど。クラブがセリエA昇格を果たした2002-2003シーズンに至っては、リーグ戦の出場試合数は“0”であった。翌年のヴィチェンツァでのローン移籍で彼の中で何かが変わったのか、エンポリに戻ってきた2004-2005シーズンはセリエBが舞台とはいえ、27試合で6得点というまずまずの記録を残した。だが、これが一つ上の舞台で発揮できないのが、ローディの弱き部分であった。

◆“万年セリエBレベル”から脱却ならず◆

セリエAへの再昇格を果たした2005-2006シーズン、チームのメインキャストとして期待されたが、17試合に出場して無得点。シーズン途中には完全に出番を失ってしまった。「やはり、ローディはセリエAにはまだ早い」と判断したフロントは、2006-2007シーズンからはセリエBのフロジノーネにレンタルでの放出を決めるが、この屈辱的な扱いにローディ自身も奮起したのか、2季連続で2桁得点を記録。エンポリに復帰した2008-2009シーズンも42試合で13得点という成績を残した。3シーズンに及んでコンスタントなパフォーマンスを見せていたローディに目を付けたウディネーゼは、保有権を持つエンポリに獲得を打診し、これもまたレンタルという形であったが、ローディにとって久しぶりとなるセリエAへの挑戦権が舞い込んできた。

しかし、歴史は繰り返される・・・。ウディネーゼでは、同年代であるペーペやフローロ・フローレスの後塵を拝しただけではなく、年下のアレクシス・サンチェスにまで抜かされる格好となり、クラブでの序列は下位に。最終的には19試合に出場したが、ほとんどが途中出場。得点もわずかに“1”に終わった。

かつて「エンポリの下部組織史上最高の傑作」ともてはやされた男が、何故、セリエAの舞台で活躍できないのだろうか。私自身は、未だにこの答えは導き出せないでいるが、もしかしたら、本人もはっきりとした答えは見えていないかもしれない。“お山の大将”のような役割でない限り、自身の良さを最大限に発揮出来ないという強烈すぎる個性が足かせになっているのかもしれないし、選んだクラブ自体に問題があったと言えるかもしれない。しかし、ただ一つ言えることは、彼のように埋もれた才能は数多も存在すると言うことだ。

セリエBには、「フロジノーネの21番」のように、サッカー界から忘却されつつあり、光を失いつつある綺羅星がいくつも存在する。「彼らを追っていけば、『セリエAで活躍する条件』が見つかるかもしれない」と感じた私は、これからもその答えを探しを続けていこうと胸に決めた。

(筆:Qoly編集部 T)


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