ある意味でベネズエラ戦はブラジルW杯のトレンドを踏襲するような試合だった、と言っていいだろう。

オランダを率いたファン・ハールだけでなく、5バックを採用するチームが多かった今回のW杯で見えた傾向の1つに、代表チームは攻守両面で「シンプルさ」を重視している、というものがあったはずだ。勿論「ブラジルの気候によって消耗戦が避けられなかった」というのも強く関連していたのだとは思われるが、攻守の分断を厭わず、複雑なことをするのではなく個の強さを生かしていくようなチームが多かった。欧州のトップクラブが「組織としてコンパクトな」フットボールを目指していく一方で、代表では「消耗を嫌い、組織的にシンプルな形で個人能力を生かす」という差が見えていたのは興味深かった点だ。

そして、2018年のW杯はロシアでの開催だ。気候的な問題だけでなく、ロシアでは移動距離という問題が恐らく深刻になるだろう。そうなってくれば、こういった傾向は4年後も変わらない可能性が高い。

クラブと比べれば一緒にプレーする時間が限定されている代表チームという特色上、どうしても戦術の熟成には時間がかかる。強豪クラブのメンバーを中心に据えることによって基盤となる組織を作る時間を節約出来ない国にとっては、特にチームとしての戦術を浸透させることは難しいタスクだ。

ドイツであればバイエルン、スペインであればバルセロナというように、戦術でクラブレベルのクオリティを達成しているチームには基盤となるチームがあることも少なくない。だからこそ、そういったクラブが無い国にとって頼りとなる1つの要素は個人の力なのだろう。逆に日本代表は、伝統的にそういった決断から逃げようとし続けている国の1つだ。「組織としての強みを生かすことが、日本人の国民性に合っている」、というある意味で信仰心のようなイメージに僕たちは囚われ続けている。

そういった意味で、ベネズエラとの試合でアギーレの見せた「牙」は日本のフットボールに一石を投じることになるのかもしれない。

例えば前指揮官ザッケローニは調和を優先し、日本代表に合ったフットボールの構築を目指した。「日本には空中戦のサッカー文化はない」という彼のコメントからも解るように、日本に存在するフットボール文化に歩み寄ろうとしていたのである。

一方で、アギーレという指揮官が求めるフットボールは恐らく日本では「積極的には触れられてこない」部分であったはずだ。フィジカルでの争い、空中戦、切り替えのスピード。メキシコ人指揮官は、多くの指揮官が諦めた部分である弱みに手をつけようというのだから。視察したJリーグの試合について「フレンドリーマッチのようだ」と切り捨てた男のフットボール観が、2戦目には色濃く表れていた。

中盤のフィジカル争いに持ち込む、積極的な守備システム。

南米、ベネズエラに対した日本代表は、1戦目とは全く異なったフットボールを見せることになった。非常にシンプルなことなのだが、森重と共に3センターに起用された細貝、柴崎が相手の2ボランチをマーク。ボランチへの強烈なプレッシャーによって相手のゲームメイクを牽制しながら、高い位置でボールを奪っていくようなフットボールを目指したのである。

この手段は非常にポピュラーなもので、例えばW杯ではオランダ、アルジェリア、ブラジルなどの国々が相手のボランチへの厳しいプレッシャーで中盤の組み立てを妨害するような戦術を選択、実際成果も上げている。このように相手のボランチにプレッシャーを厳しくかけていくことによって、アギーレが好むCBからFWへのパスにも大きな意味が生まれる。実際にボールがFWに収まりきらなかったとしても、そこからセンターハーフをプレッシャーに参加させることによって、上手くボールが奪えれば二次的な攻撃が可能になるからだ。

この戦術で1つ大きなメリットとしては、相手の中盤がFWを挟み込んでボールを回収する際に自陣ゴール側を向くことだ。FWがしっかりとCBを抑えていればそこからカウンターにすることは難しく、中盤の選手としても難しい状況でボールを扱うことになる。

このような戦術を好むチームとしては、レヴァンドフスキを擁していた頃のドルトムントや、ジエゴ・コスタを擁していた頃のアトレティコなどがある。一度自分たちでボールを手放すことで、そこから良い位置でプレッシングを敢行。ボールを回収してからショートカウンターをかけることで相手の守備を攻略するのだ。細貝と柴崎は明らかに相手ボランチを潰すことを命じられており、ベネズエラも中盤での主導権争いに苦しむことになった。

とはいえ、現実的に難しい部分として、2人のCBをきっちり抑えるだけのフィジカルがあるFWが必要となる点は挙げられる。見方を変えれば、ベネズエラのレベルであったからある程度のリスクのある戦術を取ったという見方も可能だろう。

しかし、相手のレベルを考えていたとしても、恐らく今までの指揮官であれば採用しなかったパターンの手だ。何故なら、彼等はチームの特徴を知っていて、ある意味ではフィジカルでの争いという部分で妥協していたからである。しかし、アギーレは恐らくそういった部分であっても日本代表に合わせようとはしないはずだ。我々が知るべきは、「世界基準で考えた時に、最低限求められているものが何なのか」、ということなのかもしれない。

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