10月27日、アメリカ・メジャーリーグサッカーに2004年から参戦していたチーバスUSAがクラブの解散を発表。元日本代表DF加地亮選手も所属していたが、来年はすべての選手がドラフトで他のクラブへと移籍することになる。

なお、クラブのフランチャイズ権は他の経営者のもとに移り、2017年に新たにクラブが創設される予定となっている。そのオーナーはカーディフ・シティのオーナーとして1部で有名なマレーシア人富豪ヴィンセント・タン氏になるだろうと報じられている。

1993年に創設されたアメリカ・メジャーリーグサッカーは、当初10クラブでスタート。徐々にその影響力を拡大させ、現在はイースタン・カンファレンスとウェスタン・カンファレンスに別れて19クラブが参加している。

もちろん新設のリーグには仕方のないことであるが、この間にはクラブの増加とともに、消滅する者もあった。21年の歴史において、今回解散を発表したチーバスUSAは3チーム目である。惜しまれながらもMLSから消えていったクラブを振り返ってみよう。


▼タンパベイ・ミューティニー(1996~2001)

1995年に創設され、1996年のシーズンから参戦したクラブ。タンパベイを本拠地として、バッカニアーズ(NFL)などとともにタンパ・スタジアム、レイモンド・ジェームズ・スタジアムを使用した。

チーム創設とともにコロンビア代表のレジェンドであるカルロス・バルデラマを獲得し、なんと初年度でカンファレンス優勝を達成するという快挙を成し遂げた。

しかし、1999年から使用していたレイモンド・ジェームズ・スタジアムの莫大な賃貸料の支払いに苦しみ、観客数も思うように伸びず。経営難のため、2001年にフランチャイズ契約を解除した。


▼マイアミ・フュージョン(1998~2001)

南フロリダへの進出を図っていたメジャーリーグサッカーが、実業家のケン・ホロヴィッツ氏と連携して1997年に創設したクラブ。使用していたロックハート・スタジアムはリーグ初の球技専用競技場であった。

1998年には上記のタンパベイ・ミューティニーからカルロス・バルデラマを獲得。後にアメリカ代表の中心選手となるMFパブロ・マストロエーニなども擁していたものの、観客数が伸びずに経営に苦戦。

2001年にはイースタン・カンファレンスで優勝し、クラブ史上最高の成績を残したものの、チケット収入、スポンサー収入ともにリーグ最低という状況から抜け出すことが出来ず、タイトルを置き土産に撤退することとなった。

なお、クラブが存在していた5年間でマイアミ・フュージョンは2億5000万ドルもの損失を計上していたという。


【厳選Qoly】U-23日本代表、奮起が求められる3名!パリ五輪出場には活躍が不可欠

日本人がケチャドバ!海外日本人選手の最新ゴールはこちら