かつてはMFだった

彼がこれまで代表チーム、クラブチームでどれだけ得点を決めたかを考えれば、ジェコのキャリアがストライカーから始まっていないことを受け入れるのは難しい話だ。

最初のポジションは中盤であり、多くの人々から『トップレベルにはならないだろう』と考えられるほどだった。クラブや代表でポジションを変えた後は、彼は全く過去を振り返ることはない。

戦争体験

ボスニアの誰もが、それぞれ語るべき戦争の物語を持っている。エディン・ジェコも例外ではない。

サライェヴォが包囲されたとき、多くのチームメイトが都市を離れるなかで、彼の家族は逃げることを拒否した。

居を転々とした後、彼は6~10歳の間を祖父の家で過ごした。地下の一つのベッドルームで12人の家族が生活した。

その10年後、エディン・ジェコはボスニア・ヘルツェゴビナで初のユニセフ大使となった。

400万円

彼がキャリアを通してこれまで残してきた結果を考えれば、ジェコが最初に所属していたクラブのフロントは非常に安い価格で彼を売ったことを後悔しているかもしれない。

ジェレズニチャールでポジションを得るのに苦しんでいた時、チェコのテプリツェがわずか2万1000ポンド(現在のレートでおよそ400万円)で買い取った。一人のディレクターは「宝くじに当たったようなものだ」と話した。それは大きな間違いだった。

SNS

1400もの投稿を行っており、ジェコはソーシャルメディアを積極的に活用している。

130万人以上のファンが@EdDzekoをフォローしている。彼がローマでゴールを決めたとき、それはいくつか増加することになるだろう!

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