フットボールとグローバル化。

フットボールは、グローバル化の影響を色濃く受けている。

日本人がヨーロッパサッカーに熱狂することが出来るのも、グローバル化の一端と言える。欧州から遠く離れたアジアの国々でも、アーセナルやマンチェスター・ユナイテッドのユニフォームを着た子供達が、一生懸命にボールを追いかけている。それは日本でも、アメリカでも見られる光景の1つだろう。

スペイン人の指揮官がドイツのチームを率い、ボールを奪ったチリ人からテクニカルなブラジル人にパスが通る。ゴール前では、屈強なポーランド人が待っている。このようなピッチ上での多国籍化も、フットボールにおけるグローバル化の一つだ。また、当然スタジアムにも様々な国から人々が訪れるようになってきている。クラブが持つスカウト網も発達し、世界中から素晴らしい選手を集めてもいる。

テロリズムの基盤にもなり兼ねない宗教的、民族的、信条的な基盤にもなるのがフットボールクラブだ。例えば、アスレティック・ビルバオは、バスク人にとって特別な意味を持つ。弾圧されていた彼らにとっては、スタジアムだけがアイデンティティを声高らかに叫べる場所であった(HOW FOOTBALL EXPLAINS WORLD参照)。カソリックやプロテスタント、といった宗教対立も、フットボールから切り離せない。セルティック対レンジャーズのオールドファームダービーは、それを象徴するからこそ暴力的になる。彼らにとっては、自分の根幹を揺るがす戦いになるからだ。

地理的にも、フットボールというのは強く地元と結び付くものだ。地元出身の若手はサポーターから強烈に愛されるし、セルティックのサポーターは「グラスゴーで生まれ育った男だけのチームだったころ」の栄冠を何よりも誇らし気に語る。日本人選手がヨーロッパリーグで活躍すると嬉しい気持ちになることも、ナショナリズムと関係する感情だろう。

しかし一方で、ピッチ上で走り回る選手達は世界中から集まっており、信条に関しても必ずしもクラブの伝統に沿うものを持っている訳では無い。そういう意味でフットボールは、ナショナリズムとグローバリズムの間に蜃気楼の様にゆらめいている。現代社会の不安定な姿を象徴するように。ナショナリズムを背負うチームの選手たちは世界中から集められており、ファンの多様化も進んでいく。

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