10日、クラブワールドカップが開幕した。サンフレッチェ広島はオセアニア代表のオークランド・シティ相手に勝利し、13日にはアフリカ代表のマゼンベと激突する。

マゼンベはこれまでアフリカCLで5回の優勝を誇る強豪であり、2010年のクラブワールドカップではインテルナシオナウを下しアフリカ勢初の決勝進出を果たした。チーム紹介はまた別の機会にするとして、今回はマゼンベの母国DRコンゴとはどのような国なのかを紹介する。

旧名:ザイール

DRコンゴは1971年から1997年まで「ザイール」という国名で呼ばれモブツ・セセ・セコ大統領による権力集中が続いていた。

強い中央集権化を望むモブツに対して、民衆は民主化を要求。1990年代には内戦が勃発し世界最貧民国の1つになってしまった。500万人以上の人々が死亡したとされるこの戦いを経て現在のDRコンゴは成り立っている。

左はザイール時代の国旗、右は現在のDRコンゴ国旗である。デザインや色だけでなく、縦横の比率も変わっている。

サッカーファンがコンゴ(コンゴ共和国)とDRコンゴ(コンゴ民主共和国)を混同してしまうケースがあるが、元々コンゴ王国という1つの国であった。16世紀にポルトガルに征服され、19世紀に入りベルギー領とフランス領、ポルトガル領に分けられることになった。ベルギー領が現在のDRコンゴ、フランス領がコンゴとなっている。

このように1つの国がわけられたにも拘わらず、DRコンゴはアフリカ大陸第2位の面積を誇り国土は広大である。200以上の民族が暮らし推定で6600万人の人口がいると言われている。1992年には推定3900万人と言われていたのでDRコンゴになってから急激な出産ラッシュを迎え若い人口が非常に多く老人が少ないというピラミッド構造になっている。

国内リーグ:リナフット

サッカーファン的に気になるのが国内リーグであろう。国内リーグ「リナフット」は2013年までは春に始まり秋に終わるJリーグと同じ春秋制をとっていたが、2013-14シーズンより秋に始まり春に終わる秋春制をとっている。

アフリカの国内リーグの多くが予定の延期や開幕の遅れなどにより無意識的に開幕がずれ秋春制になってしまうことがある。だが、DRコンゴの場合はきちんと計画だったものでこうしたリーグ改革によって1部リーグのクラブは毎年増えている。今シーズンは28チームが3グループに分かれてまずはグループリーグを戦い上位チームが決勝グループに進む…という変則的なレギュレーションをとっている。

数年前には1部リーグは現在の半分14チームしかなかった。現在、1部リーグがこうした多くのチームを抱えることができるのが、DRコンゴではサッカーが一番人気のスポーツであり、ヴィタ・クルブの試合には80000人のファンが集まったという逸話もあるからだ。

ちなみに、マゼンベは現在グループAの首位を快走しており4連勝中、マゼンベとヴィタ・クルブが2大強豪と考えてもらえるとわかりやすい。

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