平安山「お二人は海外挑戦する以前にはJリーグの経験がなく、藤澤選手はドイツ、富樫選手はスペイン挑戦を経ての逆輸入Jリーガーという少し珍しい経歴をお持ちです。お二人が海外挑戦をしたキッカケを教えて下さい」

富樫「僕はずっとバルサの華麗なサッカーに憧れみたいなものがあったんです。高校2年生の時、短期なんですけど、知人を通してスペイン留学をする機会がありまして、そこでスペインに強い衝撃を受けました。それで有名大学への進学のお話も全て断ってスペイン・バレンシアへの挑戦を決めました」

藤澤「僕も欧州、中でもドイツに憧れがより強くありました。関大卒業後にはSAGAWA SHIGA FCという日本のクラブでプレーしていたんですが、そのクラブがJFLを退会してTOPチームは活動しない事になってしまって。そんな時に知人を通してドイツ挑戦のチャンスが見つかったのがキッカケでした」

平安山「お二人とも元々その国に対して思い入れがあったのですね。とは言え、大学進学を断ったり、所属チームの消滅であったり、周囲の反対など逆境も乗り越えてきた事でしょう。迷いもあったと思いますが、大きな決断をされましたね。だからこそ、お二人がそれぞれの国で得たものもあったのではないでしょうか」

富樫・藤澤「コミュニケーション!」

平安山「おおっ!お2人とも同じ意見ですか(笑)詳しく教えて頂けますか?」

富樫「スペインでは"味方に自分を知って貰う"事を強く意識していました。具体的には今日の試合や練習で自分の特徴を出したプレーが出来たか、インパクトに残るプレーが出来たか、スペイン人に上手いと思わせる様なプレーが出来たか、その辺はスペイン挑戦するなら本当に大切な事だと思います」

平安山「なるほど、それは"ピッチ上でのコミュニケーション"の部分ですね」

富樫「スペインに来て最初の頃なんかは少し差別的な意味も含めてチノ!(中国人)なんて呼ばれていました。試合中には僕がボール持った瞬間に周囲から馬鹿にされて笑われたりね。でもその試合で3点ぶち込んでハットトリックを決めたらもう空気が変わったと言いますか、明らかに僕への扱いが違うものになっていました。気持ち良いですよ(笑)1点だけじゃダメなんです。マグレ・奇跡だと余計にからかってきたりします」

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