シメオネと同僚

エスナイデルといえば、サラゴサの印象が強い。なぜかというとレンタル1年目にはコパ・デル・レイ優勝に貢献し自らもリーグ戦13ゴールをあげた。翌1994-95シーズンも16ゴールをあげカップ・ウィナーズ・カップ優勝に貢献したのだ。

サラゴサ時代のエスナイデル

サラゴサでの結果を持ち帰ったエスナイデルだがレアル・マドリーでは不発に終わった。結局、1996-97シーズンにアトレティコ・マドリーへ移籍し16ゴール、1997-98シーズンにエスパニョールで13ゴールをあげた。アトレティコ・マドリー時代にはスペイン代表FWキコと2トップを組み、ディエゴ・シメオネと同僚であった。

こうして再び評価をあげたエスナイデルはユヴェントスへ移籍した。1998-99シーズンのユヴェントスといえば、あの中田ペルージャと開幕戦を戦ったチームでジネディーヌ・ジダン、アレッサンドロ・デル・ピエロを擁したスター軍団だった。あのティエリ・アンリですらウイングを務めるという中、再び出場機会をなくして2シーズンで16試合ノーゴール、またしてもビッグクラブの洗礼を浴びてしまったのである。

結局、ローンでサラゴサへ帰り再び二けた得点、その後、ポルト、アジャクシオ、リーベル・プレートなど様々な国のチームでプレーした。名門チームで多くプレーしたが、結局ユヴェントス、レアル・マドリー両チームでのリーグ戦ゴールは僅か1であった。

エスナイデルは有望なストライカーであったが、若くして注目を浴びたことからマークもきつく反則スレスレの荒いディフェンスに困惑し怪我にも苦しんだ。また、気が強くコーチ陣などに反発する性格も災いしたと言われている。

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