『Al Jazeela』は27日、ポール・ウィリアムズ記者によるアフガニスタンにおけるサッカーの状況についてのレポートを掲載した。

長く戦乱に悩まされたアフガニスタン。しかしこのところは復興が進んでおり、2012年にテレビの企画から設立されたプレミアリーグも5年目を迎え、AFCカップへの出場権も与えられた。

代表チームは世界中に散らばった選手を集めて形成され、南アジア地域においては強豪の立場を確固たるものにしている。

そして、今年4月にはアフガニスタンサッカー協会において会長選挙が行われる。そこに立候補するのが、かつて代表選手として活躍したアリ・アスカル・ラリ氏だ。

彼はソビエト侵攻後の1979年にドイツへの亡命を余儀なくされたものの、2000年台になって母国のサッカーを発展させるために仕事を始め、これまでU-23代表、女子代表などを率いてきた。

アフガニスタンを誰よりも愛する男は取材に対して以下のように答え、国のサッカーを改革していくと明言したという。

アリ・アスカル・ラリ

「私の人生は危機に晒されていた。2度逮捕された。殺されなかったのは奇跡のようなものだった。

自分はアフガニスタン代表選手であり、学生だった。そして、夢を叶えることが許されないまま、私は最愛の国を離れることを余儀なくされた。

すべてのものを捨てて、新しいことを始める。それは常に簡単なものではないんだ。

多くの選手がアフガニスタンを去ることを余儀なくされた。何人かは痕跡もなく姿を消してしまった。

アフガニスタン代表の歴史で最も優れた選手の一人だったハーフィズ・カダミは、オーストラリアに逃れる道すがら、溺死してしまったと聞いた」

(※ハーフィズ・カダミは1985年生まれのFWで、2005年の南アジアカップや2006年のAFCチャレンジカップに出場した選手)

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