『FourFourTwo』は3日、「元ドイツ代表DFクリスティアン・ツィーゲは、一度打撲で死にかけたと話した」と報じた。

ドイツ代表の左サイドバックとして一時代を築き、ワールドカップ2大会、欧州選手権3大会に出場したツィーゲ氏。

バイエルン・ミュンヘンで活躍した後ACミラン、ミドルズブラ、リヴァプール、トッテナムでプレーし、2004年に帰国。ボルシアMGで引退した。

その後は指導者に転身し、ドイツのユース代表などを率いた他、スペインのセグンダBに所属するアトレティコ・バレアレスの監督も務めた。

彼は2002年にトッテナムで大きな怪我を負い、それが原因で退団することになったのだが、これは命に関わるようなものだったのだという。

クリスティアン・ツィーゲ

「私は死に近づいていたんだよ。

太ももに打撲を負った。それは強烈な衝撃ではなかったのだが、試合の後には信じられないほど腫れ上がってきたんだ。

非常に大きな、大きな痛みに襲われていた。妻は『医者を呼ぼう』と言った。あれはボクシング・デーのことだったね。

だけど、私は『電話もできない』と答えた。妻が医者に電話すると、『足の中の圧力を検査する。病院に来なさい』と言われた。

そして手術を受けた。多くの薬物が投与されたから、その数日についてはほとんど覚えていないんだ。

医者は言っていたよ。『あと30〜45分遅れていたら、君は死んでいたか、あるいは足を切り落とさなければならなかったよ』と。

とても怖かったね。そして、5ヶ月後にも手術を受けなければ行けなかった。筋肉が壊死していたからね。それを取り除いて、ようやく再始動できたよ」

「復帰した後、デイヴィッド・プリートが監督になっていた。私はあまり起用されなかったね。

それからリーグカップのウェストハム戦でプレーしたのだが、監督は言ったんだ。『君がレフトバックとは知らなかった』と。何言ってるんだと思ったね。

知らないということは、彼の計画の中で私は重要ではなかったという意味だ。私はそれに気づいた。

私は自分を求めてくれる者のために戦いたかったが、イングランドには馴染んでいたし、子供も引っ越したくはなかったからね。

私はイングランドが懐かしいよ。家族もいつか戻りたいと言っている」

昨年はスペインでバーベルを太ももに落とした選手が亡くなってしまうという悲劇的な事件も発生した。

打撲程度であっても致命的なものになる可能性はあり、負傷の際にはかならず医師の検査を受けることを心がけたいところだ。

【厳選Qoly】日本代表、北朝鮮との3月シリーズで「株を上げた」3名の選手

日本人がケチャドバ!海外日本人選手の最新ゴールはこちら