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現在英国1部プレミアリーグに所属しているウィガン・アスレティックでプレーするオマーン代表GKアリ・アル・ハブシ。デイリー・メール紙が彼のロングインタビューを掲載しており、これを紹介したい。

Habsi

アリ・アル・ハブシ選手

「アル・ハブシの魅力的な旅。オマーンでは空港の消防士として働いていた彼が、ノルウェーリーグを経て、イースト・ランカシャーにたどり着いた。彼は世界の象徴的な立場を得て、遠い地からの期待を感じている。

『プレッシャーを感じているよ。それはオマーンからだけではない。クウェート、サウジアラビア…全てのアラブ諸国からだ。彼らがいつも僕のプレーを見ている。信じられないほどウィガンとプレミアリーグを愛してくれている』

アル・ハブシは欧州でのプランを持っていなかったし、ゴールキーパーになることも予想していなかった。彼は16歳までFWであった。しかし地元のアル・ムダイビでコーチを務めていた兄のアブドゥル・アジズの助言により、転向した。

そして3部リーグでしかプレーしていなかった彼が、U-17代表チームに招集される。そしてオマーン代表のGKコーチを務めていたイングランド人指導者ジョン・バリッジとの出会いが、彼のキャリアを大きく変えた。

『彼は、僕がイングランドでやれると言った。正直言って、僕はただ笑ったね。中東ではイングランドでプレーするどころか、トライアルに至った選手すらいなかった。でも、彼は僕がプレミアリーグでプレーできると言ったんだ』

バリッジのアドバイスにより、アル・ハブシは首都マスカットに移住し、空港の消防士として働きながらトレーニングすると同時に英語も学んだ。夏には50℃の気温の中、朝五時から26kmのバス移動をしていた。

『とても大変だったけど、誰かが信じてくれたなら、それに答えなければね。ジョン(・バリッジ)は僕がプレミアリーグに行くまで離れるつもりはないと言っていた。そして18歳の時にイングランドに連れてきてくれて、ボルトンに練習参加し、マンチェスター・ユナイテッドのトライアルを受けた。

彼はオールド・トラッフォードで写真を撮って言うんだ。“アリ、これは君を思い出すためだ。君はここでプレーしてスターになるんだからね”と。僕がボルトンでプレーしていたとき、MOMに輝いたとき、いつもそこにはジョンがいた』

アレックス・ファーガソンは彼を求めた。そしてマンチェスター・シティのケヴィン・キーガン、ボルトン・ワンダラーズのサム・アラダイスも興味を持っていたが、労働許可証の問題があった。そのため、アル・ハブシはノルウェーに渡り、リン・オスロで3シーズンを過ごすこととなった。

『ノルウェーに着いたら周りは雪だらけ。気温はマイナス15℃だった。人工芝の上でトレーニングして、僕の足と手は凍り付いていた。しかし夢を持って働いているとき、周りの全てのことは忘れられる。ノルウェーに滞在して、一生懸命戦うことを家族に約束したよ』

アル・ハブシは2006年にボルトンに移籍し、ようやくプレミアリーグにたどり着いた。しかし07/08シーズン後半戦で鮮烈な活躍を見せながらも、ヨッシ・ヤースケライネンの壁を破れなかった。

だが昨季ウィガン・アスレティックにレンタル移籍すると、幸運にもクリス・カークランドのポジションを奪ってレギュラーとなり、クラブの年間最優秀選手にも選ばれた。夏には300万ユーロで完全移籍を果たし、妻のバスマと4歳になる娘レナードと共に暮らせることを意味する」

(筆:Qoly編集部 K)

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