内藤廣によるハディド擁護の「道理」と「不条理」

さて、槇文彦による問題提起を境に、それまで沈黙していた日本中の名だたる建築家が一斉にハディド案に対する批判を開始しました。建築家以外も含んだ文化人の一部が「アンビルトの女王」というフレーズでハディドの業績全体を否定する中、2013年12月10日になってから、JSC以外ではほぼ初めての「内部反論」として、選考委員の内藤廣(元東京大学副学長・現名誉教授)の「声明」が発表されました。転載先の日経「ケンプラッツ」では新たな議論が起きています。

日経ケンプラッツ 2013年12月10日付
「内藤廣が新国立騒動にもの申す「ザハに最高の仕事を」」(※12月16日に一部修正)
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/ne...

詳細はリンク先を見ていただくとして、内藤は「公平な審査の結果でハディド案を選んだのは良かった」と自己評価し、ハディドを擁護しています。そして、東大建築学科の先輩でもある槇文彦による意見表明には敬意を表しながら、署名運動まで発展した事を批判し、この運動の「着地点」を疑っています。また、修正後のハディド案について、槇の批判のポイントだった明治記念絵画館からの光景で威圧感が減った事をある意味で惜しみながら、より大規模な形にして東京都市改造の起爆剤にしたいという意見を付けています。

僭越ですが、ケンプラッツ版での5-6ページ、「規模だけを問題にするのは早計」という部分では、私にとって違和感のない部分が多くあります。

「ロンドンのオリンピックの会場と比較して、8万人収容の問題も縮小案の俎上に上がって」いるが「ロンドンには、この会場以外に8万人規模の収容人員を持つところが二つもある」事実は、まさに私が10月のコラムで指摘した部分です。また「無駄遣いをやめる、節約が美徳。そちらの方が『分かりやすい正義』になりやすい」ので、新国立問題がJSCの体質を色濃く反映した「官僚的な意志決定のシステム」に対する強い不満への出口になっているという指摘も、理には適っています。「神宮の外苑の景観など、いままで一顧だにしてこなかったのに、いきなりそこに正義の根拠を求めるようになる。感情に訴え、署名を求めるには分かりやすい話」という部分は、率直ないらだちでしょう。

この他にも重要な点がありますが、それは後ほど。

一方、内藤の論理には奇怪で不条理な部分も数多くあります。「生命力のようなものを高く評価」した事もそうですが、最も理解できないのは、内藤がハディドの「やる気」をとても気に掛けている点です。「建物のレベルは設計者の情熱の絶対量に掛かっています」という設計者の大前提を示した上で、批判を受けて嫌気が差したので担当者や設計者に任せっぱなしになれば、「規模だけ大きい二流の建物になってしまいます」と危惧し、「ザハにしてみれば、座敷に呼ばれて出かけていったら袋叩きにあった、という気持ちかもしれません」という思いやりです。

ただ、前提条件を全く無視したかのように広げた大風呂敷を壮大とひたすらに称賛すべきで、決してそのずさんさを指摘してはならないと言うのは、全く無茶苦茶な話です。公金を支出する公共施設の意義は一体何だと思っているのだ、という事です。

実は、ハディドの動きには内藤の危惧が当たっている部分があります。

「そのまま作ったら3000億円」という報道が出て、JSCが慌てて建造費の削減に着手した時も、ハディド事務所ディレクターのジム・ヘヴェリンは「原案通りの建築を満たすよう認められなければならない」と述べていました。11月1日付の共同通信ニュースの恐らく原文で、私の拙訳で恐縮ですが、「デザインが自己を証明する明確な表現は、真に単一のヴィジョンからもたらされる必要がある。さもなければ、著作権も、信頼できる意見の裏付けもなくなるだろう」いう警告です。

"Inside the Games" (オリンピック・パラリンピック・英連邦大会に関するニュースやインタビューを扱うイギリスのサイト)2013年11月5日付
"There are risks if Zaha Hadid-designed Tokyo 2020 Stadium scaled back,warns project manager"
http://www.insidethegames.biz/olympics/summer-olym...

ただし、11月9日付の東京新聞記事は、ハディドの原案には首都高速道路4号新宿線やJR中央快速線・緩行線(中央・総武線)をまたいで北側(新宿御苑方面)に延びるスロープが含まれ、JSCが選考直後に削除した事を伝えていました。

土木技術者なら常識ですが、鉄道路線の上に橋を架ける工事では安全性と列車運行を絶対的に優先した作業工程を準備しますが、ハディドはその手法や法制度に何の知識もなく、「無邪気に橋の絵を描いた」ようです。当然、JR東日本や首都高速道路公団は受け入れないでしょう。この時点で、ハディド原案通りの建築は不可能になっていました。

東京新聞 2013年11月9日付「新国立競技場デザイン 建設範囲大きく超過」(森本智之記者)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/culture_...

しかし、契約時の条件を基にして、ハディド側は今でも強気のようです。自民党PTに対するJSC側の説明は、「建築案を白紙に戻したら工期が遅れる上、ハディドにはいずれにしてもコンペの賞金として13億円を払わなければならない」、でした。何とも納得できない話です。はっきり言えば、勝手なスロープデザインの時点で「ルール違反のため失格」と判定すべきではなかったでしょうか。

そして、この内藤声明を読む中で、この新国立競技場問題に留まらない、ある仮説が浮かんできました。これは今回の一連のコラムの締めで使おうと思っています。

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