さきほど新潟で行われた日本代表対ジャマイカ代表のキリンチャレンジカップ2014。12年ぶりの対戦となった試合は1-0で日本代表が勝利した。

ご存知の通り、ジャマイカという国は日本にとってW杯で初めて得点をあげた相手である。1998年のフランス大会、2連敗で迎えた日本は呂比須ワグナーの折り返しを中山雅史が叩き込み、歴史的なゴールをゲット。試合後、中山は試合中に骨折していたことを明かしており、世界にその存在感を示したという意味ではこのジャマイカ戦が日本にとって大きな一歩となったことは間違いない。

そんな1998年大会のジャマイカ代表の選手を調べてみると、ショッキングな事実が判明した。なんと、この大会に登録されていた選手のうち、実に2名がすでに亡くなっていたのである。

1人目は日本戦にも先発出場したDFスティーヴン・マルコム。1970年5月2日生まれのマルコムは、この試合に28歳で出場していた。しかし、およそ2年半後となる2001年1月28日、ジャマイカで行われたブルガリア代表との親善試合の帰り、交通事故に巻き込まれて命を落とした。享年30。なお、1998年大会をともに戦ったセオドア・ウィットモアも車に乗っており負傷はしたが、ウィットモアは助かっている。

2人目も、実は交通事故で亡くなっている。ピーター・カーギルは1964年3月2日生まれのMFで、1998年大会には34歳という年齢で参加していた。日本戦に出場することはなかったが、クロアチアとの初戦は先発、アルゼンチンとの2試合目は途中出場している。カーギルも2005年4月15日、事故死した。41歳だった。

なお、ジャマイカ代表のレジェンド的選手で、83キャップを記録するウィンストン・アングリンも母国での交通事故で命を落としているそうだ。これほどまでにサッカー選手が交通事故で命を落としている現状に、ただただ切なさを覚える。

在ジャマイカ日本国大使館が公開している「安全の手引き」によれば、首都キングストンでは道路の整備が進んでおらず、道路の至る所で大きな穴が開いており、パンクやハンドル誤操作の原因となっているよう。一般的に交通マナーは悪く,無理な追い越しや速度超過などは常態化しているため、深刻な交通事故が多発しているという。サッカーファミリーの一人として、今日戦ったジャマイカ代表のメンバーが無事に帰国できることを祈りたい。

なお、1998年大会に登録された日本代表の22選手は以下の通り。2014年10月10日現在、全員存命である。

1 小島 伸幸(ベルマーレ平塚)
2 名良 橋晃(鹿島アントラーズ)
3 相馬 直樹(鹿島アントラーズ)
4 井原 正巳(横浜マリノス)
5 小村 徳男(横浜マリノス)
6 山口 素弘(横浜フリューゲルス)
7 伊東 輝悦(清水エスパルス)
8 中田 英寿(ベルマーレ平塚)
9 中山 雅史(ジュビロ磐田)
10 名波 浩(ジュビロ磐田)
11 小野 伸二(浦和レッドダイヤモンズ)
12 呂比須 ワグナー(ベルマーレ平塚)
13 服部 年宏(ジュビロ磐田)
14 岡野 雅行(浦和レッドダイヤモンズ)
15 森島 寛晃(セレッソ大阪)
16 斉藤 俊秀(清水エスパルス)
17 秋田 豊(鹿島アントラーズ)
18 城 彰二(横浜マリノス)
19 中西 永輔(ジェフユナイテッド市原)
20 川口 能活(横浜マリノス)
21 楢崎 正剛(横浜フリューゲルス)
22 平野 孝(名古屋グランパスエイト)

※所属チーム、チーム名は当時のもの

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