2005-06シーズン フィオレンティーナ

2005年夏、ミランから完全移籍も視野にしてフィオレンティーナへローン移籍したブロッキ。監督は再びプランデッリであった。

31得点をあげ得点王に輝いたルーカ・トーニを軸に4位と躍進し、特にホームでは19試合16勝と圧倒的な強さを誇った。

システムはまたしてもプランデッリが好む4-4-2、ないしは4-2-3-1が採用された。ルイス・ヒメネスやリッカルド・モントリーヴォがトップ下に入るときは彼らがゲームメイクを担当。両サイドのマルティン・ヨルゲンセン、ステファーノ・フィオーレらがアクセントになった。

トーニ以外はカウンターに備え守備的なタスクを強いられることもあり、ファビオ・カペッロはこれを「9人のDF」と表現した。

ミランに当てはめるとどうなる?

MFは比較的運動量ベースの選手が使われることが多い。そのうち、唯一左サイドのみがゲームメイク要素に加え得点力のある選手が起用される。

本田圭佑は、このところ左サイドでのプレーを経験していない。そうなれば、居場所は4-4-2の時の下がり目のFW、もしくは4-2-3-1時のトップ下になるだろう。どちらかと言えば、下がり目のFWはアシスト役もこなすタイプが使われる傾向があり、後者が最適解と言えるだろうか。

好材料としては、プランデッリは前線のメンバーを対戦相手によって、そしてホームかアウェーかによって切り替えるケースが多かったことだ。

ジャコモ・ボナヴェントゥーラの怪我もあるが、ブロッキもその“哲学”を継承したのかケヴィン=プリンス・ボアテング、本田らをトップ下で起用している。チャンスは必ず複数回訪れると考えられる。

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