モナコのデビューからニースへ

2010年にモナコのトップチームに昇格したメンディ。この年はワールドカップが行われていたため、モナコの夏のキャンプは人材不足に陥っており、ちょうど若手が大量に求められていたときだった。

彼はそのチャンスを生かし、なんと開幕のリヨン戦で右ボランチとしてスタメン起用されたのだ。コンビを組んでいたのはトマ・マンガニ(現アンジェ)。左利きのサイドバック&ボランチとして知られ、精度の高いパスを武器としている選手だ。

この試合でギー・ラコンブ監督の信頼を受けたメンディは数試合起用されるも、残念ながらチームが不調に陥ってしまった。今をときめくピエール=エメリク・オーバメヤングをサイドに置き、パク・チュヨンやダニエル・ニクラエを中央に使った4-4-2はバランスを欠き、攻撃を狙えば守備が空き、守れば攻撃できないチームに仕上がっていた。

結局このためにチームのシステム自体が固まらず、中盤戦ではジャン=ジャック・ゴソ、ルクマン・ハルナ、そして途中加入のママドゥ・ディアラなどにポジションを奪われる形となり、終盤戦では全く出番を失っている。

モナコはこの年2部に降格してしまったが、それはメンディにとっては幸運だったかもしれない。2年目の彼はローラン・バニデ監督の下、4-2-3-1の右ボランチとしてレギュラーに定着した。

当初パートナーはリールでプレーしていたことで知られるステファヌ・デュモンだったが、マルコ・シモーネ監督に代わった後はギャリ・クリバリが相棒となった。このマリにルーツを持っているコルシカ島代表ボランチは、見た目とは違って長短のパスを武器としている司令塔である。

前線の迫力に欠けたモナコは2011-12シーズンの昇格を逃すも、メンディはラニエリ監督が就任した2012-13シーズンにはさらに中心的な存在になった。パートナーは前述のステファヌ・デュモンとギャリ・クリバリ、ダルヴィン・エンディンガらが使われたが、後半戦ではムニル・オバディが定着。やはり攻撃的な選手が相棒として適役とされた。

このシーズン、モナコはFWイブラヒマ・トゥレの大爆発もあって昇格に成功。しかし、メンディは大補強が行われるクラブとの契約延長を避け、近郊のライバルであるニースへの移籍を決断したのだった。

それから彼はニースで、チームの絶対的な存在として大きな信頼を受けることになる。

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