デイヴィッド・プラット

1982~1985:マンチェスター・ユナイテッド(下部組織)
1995~1998:アーセナル

先ほどのアンディ・コールとは完全真逆のパターンがデイヴィッド・プラット。

1985年までマンチェスター・ユナイテッドの下部組織に身を置いていたが、トップに引き上られることはなく、当時4部のクルー・アレクサンドラに移籍。そこで、後の彼の最大の武器となる「ゴール嗅覚」と「ダイナミズム」を会得して飛躍し、名門アストン・ヴィラへ。着実にステップアップを遂げると、1990年のワールドカップにもイングランド代表の主力として参加した。

その後は、当時「世界最高峰のリーグ」として幅を利かせていたセリエAに挑戦し、バーリ、ユヴェントス、サンプドリアを転々とするが、プレミアリーグ時代のようにはいかず、予想以上に苦戦。「プラットに迫力がなくなった」と言う声も聞こえるようになった。

しかし、そんな彼を救ったクラブが存在した。それがアーセナルである。1995年に監督に就任したブルース・リーオクの“補強第一号”としてチームに迎えられると、すぐにチームの主軸として活躍。アーセン・ヴェンゲルが指揮官になってからは、若きパトリック・ヴィエラとセントラルミッドフィルダーを構成し、1997-98シーズンの“ダブル”にも貢献した。