ロビン・ファン・ペルシー

2004~2012:アーセナル
2012~2015:マンチェスター・ユナイテッド

「両クラブの間に、最も話題を呼び、最も遺恨を残した移籍」となれば、ロビン・ファン・ペルシーの一択だろう。

オランダのフェイエノールトで注目の若手として耳目を引くと、2004-05シーズンにアーセナルへ移籍。移籍当時は精神面の未熟さもうかがえ、その将来性を疑う声も少なくなかったが、ポジションを左ウィングから中央に移すコンバートにも成功し、秘められた能力が覚醒した。瞬く間に、チャンスメイクとスコアリングをハイレベルにこなす稀有なタレントへと成長すると、自他共に認めるガナーズの主砲に。最終的には、8シーズンの所属で194試合96得点と栄えある実績を残した。

そして、30ゴールをマークしてプレミアリーグ得点王を受賞した、2011-12シーズン終了後に突如"事件”が起こる。マンチェスター・ユナイテッドへ電撃移籍を果たしたのだ。

この移籍については、後に「自分の中にいるもう一人の自分に聞いたんだ。そうしたら、彼はユナイテッドに行くべきだと叫んでいた」と本人は振り返っているが、叫びたかったのはサポーターも同様。"エースの裏切り”とも受け取れるこの行為に、アーセナルの一部のサポーターは、「ファン・ペルシーのユニフォームを燃やすパフォーマンス動画」をこぞってSNSにアップするなど、各方面で騒動を起こした。

なお、マンチェスター・ユナイテッドでは、移籍初年度こそ26得点を上げて、プレミアリーグ2年連続得点王に輝くが、2年目から失速。12点、10点とシーズンを追うごとにかつての凄みは薄れ、結局は3シーズンの在籍で86試合の48得点という結果に。「高額の移籍金に見合う活躍であったか」と問われると、少々答えに困る移籍に終わってしまった。