まず「絶対的に正しい判定」などあり得ないと理解せよ

今季オーストラリアではいち早くビデオ副審がテスト導入された。

グランド・ファイナルの予選ではなんと1試合に2回ゴールの判定が覆るという場面もあり、物議を醸した。「正しい判定」をしたはずなのに、試合は荒れた。選手も必死に抗議し、流れは完全に壊れた。

オーストラリアサッカー協会はこのシステムについて以下のように宣言していた。

「VARで正しい判定が出来ることは理解してもらえるだろう」

いや、そうではないのだ。視点がズレているのである。

サッカーの判定には、実質「正解」はない。審判によってファウルを取るか取らないかで分かれる場面はザラに存在する。

故意に手を出したのかどうか?オフサイドの位置にいた選手が試合の流れに関与したかどうか?そもそも「100%誰もが納得する正しい判定」は不可能なのだ。

ビデオ副審によって誤審を減らすことは出来る。しかし、それによって抗議をなくすことは不可能である。

もし審判が「正しい判定をしていれば文句は出ない」と思っているなら大きな間違いだ。

人生と同じだ。正しいと断言できるものなど一つもないからこそ、議論が尽きない。

今のVARは、社会主義国で自由を求める国民に対して「より良い法律を作ります」と言って対処しているようなものだ。そもそも、その法律づくりのプロセスに信用がないというのに!

FIFAは審判を神格化し、絶対的な存在にしようとすることを止めるべきだ。それはウソだからだ。

「誰もが納得できる判定」は絶対にあり得ないという前提で考えれば、重要なのは社会の構成員に『選択の自由』という権利を与えることだ。判定は間違うものであり、それを訴えるかどうかはあなたの自由だと。それが民主主義国家がやってきたことであり、チャレンジシステムが成功した要因なのだ。

社会主義国家は情報化社会の中で次々と崩壊していったのだ。FIFAはそうなってはならない。

VARは「金の無駄遣い」であり、それによるメリットはほとんどない。今すぐ止めるべきである。

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