実際の指導の様子は少し前のものだがこちらの動画が参考になる。

今回トレーニングを見ていて一番印象的だったのは、「遊びながら、サッカーを学ぶ」という点だ。

よく言われることだが、小学生年代(4種)の育成においてまず重要なのは、サッカーを楽しむこと。プレーする純粋な喜びがスキルや発想力を育て、それがその後に繋がってくる。日本の指導現場における認識としてもそれは変わりがない。

ただ違うと感じたのは、指導者側のサッカーという競技に対する理解度だ。彼らは「国民一人一人が監督」と呼ばれるほどの国・環境で長年プレーし、指導者としての経験も積んできた。その積み上げがシンプルなトレーニングの中でも発揮されていた。

たとえば、これは対面で相手が投げたゴムボールを手に持ったリングに通す“遊び”。しかし、経験者ならわかるように、浮き球に対する距離感を磨くための練習でもある。トレーニング自体は日本で見られるものも少なくなかったが、子どもたちにかける言葉の節々には知識や経験に裏打ちされた深みがあり、ずっと先に至るまでのプロセスを感じさせた。

また、これは少し前に参加した海外の日本人コーチによる講習会(こちらはU-15)でも同様だったのだが、子どもたちの様子を見ながらトレーニングの難易度を瞬時に調整する姿も印象的だった。プレーヤーのレベルに合っていないようであれば予定を変えて違うメニューに変更したり、あるいは同じ練習でも距離やフィールドの大きさを変更することで難易度は変わってくる。

頭の中で作り込んだメニューであっても、現場ではなかなか想定通りにいかないもの。こうした柔軟な姿勢は、プレーヤーにとって良いトレーニングをする上で非常に重要だろう。

トレーニング後コーチ陣に話を聞いたところ、育成で重要視している点の一つとして「人間性の向上」を挙げていた。この辺りの考え方は日本と変わらない。

ただ一方で、サッカーのトレーニングという面で考えると、日本でよく目にするのは「手段の目的化」だ。海外と同じく日本にも様々なスタイルのクラブや学校があり、多様な選手を生み出す一助となっているが、どうもスタイルそのものが目的になってしまっているケースがある。特にポゼッションやドリブル志向のチーム・スクールに多い印象だ。

フットボーラーのベースとしてそうした能力の向上はもちろん大事だが、ポゼッションやドリブルはあくまで手段。サッカーで競い、ゲームに勝つことが目的である。よって、トレーニングの一つ一つにそれがしっかりと反映されているべきだ。

指導者がサッカーという競技の本質をどこまで理解しているか―。その点において“違い”、そして“差”が感じられた今回の取材であった。

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