経由地のために目的地を曖昧にしてどうする?

いや、日本サッカー協会がそれを理由に解任するのは、不可思議だとは思うが、その権利はある。協会は経営も考えなければならないし、結果だけでは食っていけない。このワールドカップの後も、サッカーは続いていくのだ。

クラブチームの監督解任も、「成績不振が理由」とは言いつつも、基本的には経営判断である。低迷していれば経済的にダメージがあり、降格すれば致命的なことにもなりかねない。「監督解任」は「投資をする」ということでもある。だから失敗もする…。

問題は解任に関する議論だ。一つの手段に過ぎないものであるはずの「コミュニケーション」が、なぜ結果を出すための必須条件のように語る者がいるのか。

ここからは例え話だが…。

東京から大阪に行くために、別に名古屋を必ず通らなければならないわけではない。新潟から金沢を回ってもいいし、車で長野から福井に抜けてもいい。ところが、「効率的に行くには必ず名古屋を通るべき」という「かくあるべき」論が出てくる。

しかし、サッカーなら相手がいる「戦」だ。東海道新幹線で来れば効率的なのは相手もわかっているし、それを止めてくるのだ。結局北陸周りで行ったほうが早いかもしれない。

コミュニケーションという手段もそれと同じだ。良いほうがいい結果が出る場合もあれば、悪いほうがいい結果が出る場合もある。

どこを理想的とするかは人による。相手にもよる。環境にもよる。天気にもよる。

このところサッカーの戦術論が盛んになっており、ポジショナルプレーや5レーンなどいろいろな用語が飛び交う。「欧州最新の理論を学ばなければならない!」という言説もよく見るが、それも「かくあるべき」論だ。

本来は、ターゲットとしている試合で相手に勝つことだけが目標であるはず。そのための戦術は数多にあり、それが最新のものである必要もない。

姿勢がまだ「戦うための学び」になっていないのだ。

本来「戦士」が戦うべきところを、今は「学者」や「先生」が戦っているような…。あ、ファイナルファンタジー3ですね。ファミコン版では本で敵をぶん殴ってましたが。