2000年9月に開催されたシドニー五輪でも着用。当地の9月はまだ冬から春への途中と寒いので、長袖を着用する選手も多かった。稲本潤一は中心選手として五輪の全試合にフル出場。
シドニー五輪は準々決勝でアメリカ代表と対戦するも、PK戦の末に敗退した。当時は今ほどユニフォームに対する制限もなく、エンブレムもA代表と同じ物を付けていた。
女子代表からも紹介。1999年5月のアメリカ代表戦での一場面で、当時20歳の澤穂希。チームはシドニー五輪出場権が懸かった女子ワールドカップを目前に控え、緊張が高まっていた。
99年のワールドユース準優勝から始まった風モデルは、シドニー五輪やアジアカップを翔け抜けて、2000年12月の韓国代表戦を最後に次の「コントラストモデル」にバトンを渡す。