自身にとってのライバルクラブ

――GKはサッカーの中でも特殊なポジションで、常に一人しか試合に出られません。たとえばサブの立場でいる時、練習や試合でどのようなことを考え、気持ちを上げていくのでしょうか?

お互いの良さがありますから、そこを見ながら、常に出番を待つ。ただ代表チームというのはもちろん毎回同じではないので、代表が解散した後はクラブでもう一度出直してアピールをする。そういうことを繰り返し、正剛と切磋琢磨したからこそ成長できたことは間違いないです。

――2001年にイングランドのポーツマスへ移籍し、日本人GKとして初めて欧州へ渡りました。2002年の日韓ワールドカップを前にして決断でしたが、それを後押ししたものは何でしたか?

自分がより高いレベルでチャレンジしたいという気持ちがすごくあったので、オファーが来たタイミングで海外に挑戦したいと思いました。2001年の時点でも代表である程度経験を積めていましたし、2002年の日韓ワールドカップも当然すごく大事なものだったんですが、海外に出て自分が挑戦したい気持ちがあり、そこを優先しました。

――ちなみに、ポーツマスというと吉田麻也選手が現在所属しているサウサンプトンとライバル関係ですよね。

そうなんですよ。僕がいた時はサウサンプトンがプレミアにいたので同じリーグで戦うことはなかったんですが、その後クラブの立場が逆転した時期もありました。ポーツマスはどちらかというと軍港の街で、サウサンプトンは商業や経済が発展している。街のカラーがちょっと違うので、そこで衝突というかライバル関係がありましたね。

――川口さんの中でライバルと言える存在のクラブはどこでしたか?所属しているクラブによっても変わる部分だとは思うんですが。

そうですね。ダービーという意味では、横浜マリノス(当時)の時は横浜フリューゲルスでしたし、ジュビロ磐田の時は清水エスパルスでした。

…あ、でも、本当のライバルクラブにはいつも楢崎正剛がいました(笑)。やはり楢崎正剛はライバルですから、そこのクラブは自分にとって常に倒さなければいけない相手です。横浜フリューゲルス、そして名古屋グランパスは自分にとってライバルクラブでした。

――なるほど。磐田と名古屋は距離も近いですし…。

あと、横浜マリノスにいた時の名古屋グランパスは、同じ自動車メーカーということもありましたから(笑)。