父親との別れ

リュカ・エルナンデスも父親ジャン=フランソワ、母親ピ・ローレンスとともにスペインへと引っ越し、家族で生活をしていた。

しかし突然別れは訪れる。2002年に現役を離れた父ジャン=フランソワは、スペインのTV番組でタレント活動をしていた女優ソニア・モルデスと不倫の末、ピ・ローレンスと離婚したのだ。その時リュカは5歳、テオは3歳だった。

一人で家族を支えることになった母ピ・ローレンスは、当初幼い兄弟がサッカーをすることに心を痛めていたという。彼女を捨てた父がサッカー選手だったのだから、それは当然だろう。

しかし彼女はじきにリュカ、テオの才能を感じ、彼らのサッカー選手になるという夢を応援することを決断したそう。そしてリュカはラージョ・マハダオンダというユースチームに加入。テオも1年後にチームメイトとなった。

ピ・ローレンスは経済的に恵まれない生活の中、毎日兄弟を練習に送り届けていたそう。また、ラージョ・マハダオンダも彼らの才能を認め、奨学金を与えてできる限りのサポートをしていたそうだ。

アトレティコ・マドリーとの出会い

能力を評価されたリュカは11歳の時、アトレティコ・マドリーの下部組織に参加することになる。チームメイトやコーチからは「Jefazo」というニックネームをつけられた。それは「ビッグ・ボス」という意味であるそう。

背が高くてタックルが強く、さらに試合を読むことができる。激しい性格で決断力があり、生まれながらの勝者。したがって彼は際立った存在であったという。

そして2014年、トップチームのディエゴ・シメオネ監督は、当時17歳だったリュカをビジャレアル戦でメンバーに招集した。その1年後にはBチームから正式にトップチームに昇格。ディエゴ・ゴディンやホセ・ヒメネスらと並び、主力としての地位を固めていった。