――高原さんがフェリーで沖縄へ上陸したのは衝撃です。しかも乗ってきた車は、トヨタのヴェルファイア(笑)。
車好きで海外のいい車を何台も乗ってきた彼が、「ヴェルファイアっていいよね」と言っていました(笑)。
今はハイエースに乗っています。なぜハイエースかと言うと、練習機材を全部車に積んで、一番早くグラウンドへ行くからです。
高原は沖縄へ来て本当に変わりました。20年以上前に彼と知り合いマネジメントもしてきましたが、昔はマスコミ嫌いで取材もとにかく受けたがらなかったんです。
当時は周りが近寄りがたい雰囲気だったんですが、今は普通にギャグを言ったりしますからね(笑)。
――なるほど(笑)。クラブを経営する上で一番大変なことって何ですか?
んー、すべてが大変です。でも楽しいですから、大変だとは思っていません。
「営業してスポンサーを獲らないと」といったプレッシャーがあってもそれが嫌なことではないですし、難しいことがあってイライラしたりもしますが、結局好きなことをやっているので苦にはなりません。とにかくゼロから始めたので、何が正解かもまだ分かりません。
唯一言えることは、僕はもう、どこへ行ってもサッカーチームを立ち上げることはできるなと。自分で全部やりましたから。
もちろん失敗もありました。最初チームメンバーを集めるためにセレクションを行うことになり、沖縄はいつでもできるし、まずは内地(本州)でやろうと。
高原が以前所属していたJクラブの人に聞いてみたところ、セレクションにはまずグラウンドが必要。
それで高原が押さえたのが、埼玉スタジアム2002の横にある天然芝のグラウンドでした。日本代表が使うこともある場所で、使用料がとっても高いんです(笑)。
でもよく考えてみてください。当時まだ沖縄県3部なんですよ。僕らは選手が集まるだろうと勝手に思っていたんですが、結果的に来てくれたのは20名足らず。
しかも、47歳の方とか、サッカー未経験者もいて(笑)。そこで3名くらい獲得しましたが、沖縄に戻って慌ててセレクションをしたんですよね。
そちらも“沖縄あるある”で、人は集まったんですけど、すごいヘアスタイルをしていたり、パンパンと直管のいい音を響かせながらバイクでやってきたり(笑)。そういった中から選手をそろえて最初のチームを作りました。
※インタビュー中に見せてもらった沖縄SVのロゴ入り野球ボール(非売品)。かっこいい!