――「モレリア」の開発で注意した点や、どんな苦労がありましたか?

サッカーで選手が自ら選んで使えるアイテムはシューズしかありません。

戦場へ向かうための武器は唯一シューズになります。したがって、シューズに求められる機能は選手のために無ければなりません。それらのニーズをしっかりと理解し、選手のパフォーマンスをより引き出すためのパートナーとなる必要があります。

「選手のための選手が使うシューズ」ということです。選手にとって何が重要であるか、機能第一優先で開発する必要があるのです。そこにとことん拘っていました。

80年代の初頭はまだまだIT化が世の中で進んでいるとは言えず、FAXがようやく出回り、パーソナルコンピュータ(PC)は限られた人しか使えない時代でした。

なので、情報を集めるには自らが動くしかなかった、時間がゆっくりと流れていた時代です。すべてがまだまだアナログの世界でした。ですから開発の試行錯誤もとにかく時間が掛かっていました。

当時はブラジルとのやり取りもテレックス(※テープにパンチングして穴を開けて送信するシステム)で行っていました。

カレカ本人から契約の申し出が!

――時代を感じます。そうしたなか、なぜミズノが、世界的な選手であるカレカといきなり契約することができたのですか?

「モレリア」の開発は武蔵君を通じて行っていたのですが、彼がブラジルで所属していたのがサンパウロFCだったこともあり、サンパウロFCの選手の多くも開発に間接的にかかわってくれていました。

トップチームのメンバーもプロトタイプの試作品を試し履きしてくれていて、その中にカレカもいたのです。私はその事実を1985年8月のブラジル訪問までまったく知りませんでした。

※サンパウロFC時代のカレカ。