――2014年に移籍したのはギラヴァンツ北九州。柱谷幸一さんの影響が大きかったと聞いています。

レッズに行った時も、当時GMだった柱谷さんが直接来てくれたんです。ハシラさんもFWなので「ストライカーなんだから、あとはもうお前が決めるか決めないかだよ」って。俺初めての移籍なのに、こんな男男してるんだ(笑)と。

ハシラさんが京都で解任になったあと、北九州の監督に就任された。そして「今までクラブの規模とは違うけど、俺はずっと一緒にやりたいんだ」と言ってもらえたんです。「レッズみたいにお金ないからな?」とも言われましたけどね。僕も京都サンガでは人生で初めてクビになったので。

――当時「なぜ原選手を放出したんだろう」という声も多かったように思います。

昇格プレーオフでは敗退してしまったんですが、チーム得点王でした。いやらしい話ですが、給料上がるかなと…。車屋さんを見に行くか?なんて言っていましたが…びっくりでした。

もちろん自分が至らなかったんですけどね。もっと真剣に、もっと勝利を追求してやっていたら、違う結果になったかもしれません。それで車もキャンセルして(笑)

そこで北九州からすぐオファーを頂いて、サッカー選手を続けられた。だから自分を入れ替えなくちゃいけないと。

親からもらった足の速さや運の良さでプレーしていたところを、どれだけ緻密にできるか。調子が悪くてもゴールが取れるか。体が重くても動けるか。

サンガさんがクビにしてくれたおかげで、選手としてとても成長しました。1番早く練習に来て、1番最後までトレーニングして、クールダウンして…と食事も含めて全てを見つめ直しました。

――北九州の1年目、池元選手との2トップは素晴らしかったですね。

ギラヴァンツ北九州でプレーする原一樹
池ちゃんは常にライバルでしたね。またルイくん(小松塁選手)も大学選抜でずっと一緒だったので、常にライバルでしたし、負けたくない意識がすごかったです。

とてもいいチームでしたよ。若くしてクビになって「もうここしかないんだ」と入ってくる選手が多かった。

毎試合円陣組んで、誰かが「昨日パソコンを買ってしまったので本当お金ないんです。絶対勝ちましょう!」「僕ダイソン買っちゃいましたんで…」と。

「お前バカかよ、パソコン買うなよ、ダイソンなんてダメだろ!」なんて言いながら、じゃあ絶対勝たなきゃな!というチームでした。目の前の試合に全力ですよ。

今勝たなきゃ次はないんだよ…という選手がたくさんいました。その結果勝ち点3が続いて5位という結果を出せました。スタジアム問題で昇格プレーオフには出られなかったんですが、そんなことは一切気にせず。2年目も7位といい成績でした。

だからこそ、3年目はなんで降格してしまったのか…。スタジアムができて、J1に行けるぞっていう雰囲気もありました。なぜ…という悔しさがありますね。

僕はなぜかその中で16点獲ることができて、自己最多記録を更新しました。Jリーグで初めてのハットトリックも決めました。

不甲斐ない降格をさせてしまいましたが、北九州では自分をさらに見つめ直しましたし、30歳を過ぎてもゴールが獲れることを証明できました。糧になるチームでした。感謝しかないですね。