――その次はカマタマーレ讃岐に移籍されますね。その時は北野監督が指揮されていました。当時は環境があまり整ってないチームという印象がありましたが…。

僕の人生初めてのハットトリックの相手がカマタマーレ讃岐なんです。その印象はサポーターにも強く残っていたようです。

北九州との契約は残っていたんですけどね。ただチームは降格してお金もないですし、1番点を獲った僕しか売れないという事情もありました。

まさかJ3に落ちると思っていなかった状況なので、複数年契約にしている選手も多かったんです。少しでもお金を残すことがプラスになるだろうとも考えました。

たまたま讃岐さんが違約金を…それほど高くはないにせよ、支払ってでも獲ってくれると言ってくださった一番最初のクラブでした。

僕は北九州のときも、京都のときも、1番最初にオファーをいただいたところに移籍しています。讃岐さんも北野監督から直接電話を頂きました。「違約金がかかるかもしれませんが…」と話しましたが、それでも欲しいって言ってくださった。

早かったですよ。僕はオファーをテーブルに並べないので(笑)

――北野監督はどういう方でしたか?今はSNSやブログで面白い話題を振りまいていますね。

地域リーグからカマタマーレ讃岐を上げてきた監督ですから、絶大なる信頼を得ていましたし、街からも好かれていました。Jリーグでは「どうやったら落ちないか」を知っている監督でもありますね。

環境も整わない中でしたけど、自分は選んで行っているので不満はありませんでしたし、楽しかったです。良いメンバーもいましたし、なんで勝てないんだろうなと思っていました。

北さんとは何度も意見の言い合いをしました。お互いの目標は「絶対勝ちたい、少しでも勝ち点を増やして上に行きたい」。だから「俺はこうするんだ」「いや監督、俺はこうしたいんだ」と話をしましたね。

北さんも「サッカー大好きおじさん」です。勝ちたいという気持ちが全面に出た話し合いも楽しかったですね。試合で点を取ったら「北さんやりましたよ!」「サンキュー、だから使ったよ!」という掛け合いもありました。 

その中でチームを降格させてしまったんですが、責任を感じて次の年もカマタマーレ讃岐でやろうという思いもありました。