A代表への登竜門、U-21代表。世界の舞台で輝く選手たちの多くがU-21代表でその片鱗を見せていた一方で、当時の活躍が幻だったかのように消えていく選手も少なくない。彼らを分けたものは何だったのか?
ノッティンガム・フォレストのユースで育ったプルットンは、かつてイングランドの中核を担うスター候補と考えられていた。イングランドU-21代表では23試合に出場し、上り調子のサウサンプトンに移籍して瞬く間にレギュラーを獲得。スティーヴン・ジェラードの良きライバルになりうるとさえ言われた。
2004-05シーズン、彼のキャリアは暗転する。チームは勝てず、自分のパフォーマンスも上がらない。プルットンはイライラを募らせていった。そして2月のアーセナル戦、ロベール・ピレスを蹴り飛ばすなり自分からピッチを出て行き、いきなり戻ってきて審判を突き飛ばした。プルットンはシーズン最終戦まで出場停止になり、サウサンプトンは降格した。
それから4年がたち、プルットンが表舞台に立つことはなくなった。絶え間ない怪我のせいで出場機会は減っていった。現在プルットンはリーグ1(3部)のリーズでフォームを取り戻しつつある。明るい性格でファンからも人気を得ている。しかし、彼がかつて期待されたように、スリーライオンズ(イングランド代表の愛称)のユニフォームを背負ってピッチに立つ姿は、もう見ることはないだろう。
フランシス・ジェファーズは雄弁に証明してしまった。若い才能を見抜く慧眼で知られるアーセン・ヴェンゲルも、時には失敗するということを。ジェファーズはエヴァートンのユースで育ち16歳でデビュー。U-21代表で決めた13ゴールは、アラン・シアラーと並んで今でも歴代最多である。
2001年夏、ヴェンゲルは800万ポンドを費やしてエヴァートンからジェファーズを引き抜いた。ペナルティーエリアの狼、ティエリ・アンリのパートナー。ヴェンゲルがそう期待していたのだから、私たちもそうだったとしても誰が批難できるだろうか。
ジェファーズはアーセナルの華麗なサッカーにも、周りのハイレベルな同僚たちにもついていけなかった。ダイビングで審判を欺く才能だけは確かだったのだが。デビューから2001年までの3年間で18ゴールをあげたストライカーは、その後の8年で16ゴールしか決めていない。
後篇へ続く。
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