プルットンとジェファーズの他にも、ピーター・ウィッティンガム、ジャーメイン・ペナントのように期待を裏切ったケースは多い。では逆に、U-21代表時代よりもむしろA代表で輝いた面々を見てみよう。
U-21代表に選ばれたのは2002年から2003年にかけての6回。所属していたシェフィールド・ユナイテッドが2部(実質)にいたこともあり、若き日のジャギエルカは注目を集めるような選手ではなかった。
転機は2006-07シーズンに訪れた。昇格したブレイズ(シェフィールド・ユナイテッドの愛称)で守備の要として奮闘。最終的には降格してしまったものの、ジャギエルカの高い守備力、DFとMFをこなす柔軟性はプレミアクラブの目を引いた。さらに、ブレイズ時代133試合連続出場を果たしたことが示す通り、彼は怪我に強く調子を崩すことが少なかった。
2007年6月にエヴァートンに移籍するとそこからはトントン拍子に出世した。すぐにエヴァートンでの地位を確立し、2008年5月にはA代表に初招集。6月には待望のデビューを果たした。現在は(彼には珍しく)大けがで長期離脱中だが、ファビオ・カペッロ代表監督の信頼は厚く、南アフリカでジョン・テリーやリオ・ファーディナンドの控えを務める可能性は高い。
奇しくもジャギエルカと同い年で、誕生日も1日違いのレスコット。2部(当時)のウォルヴァーハンプトンでデビューし、エヴァートンに引き抜かれたというキャリアも似ている。U-21代表のキャップ数は2。同い年にはジャーメイン・デフォー、スティーヴ・シドウェルがおり、レスコットはポテンシャルを評価されながらも地味な存在だった。
ジャギエルカより1年早い2006-07シーズン、エヴァートンに加入したレスコットはDFの中央で安定したプレーを披露。プレミアでも十分に通用することを証明した。EURO2008予選の後半からはA代表に定着。プレミア屈指のセンターバックと評価を高め、今夏マンチェスター・シティに加入したのはご存じのとおりだ。
わずか4例から理論を導き出すことは不可能だが、前者2人とジャギエルカ、レスコットを明確に隔てているものはある。まず、怪我への耐性だ。ジャギエルカとレスコットは本格的なプロデビュー以来、大きな怪我をほとんどしていない。ジャギエルカは今リハビリ中の怪我がほとんど初の長期離脱といってよく、レスコットも2003-04シーズン以外はほぼ無休で働いている。プルットンとジェファーズに限らず、期待された選手のキャリアが怪我から崩れていくのはよくあることだ。「継続性」は若手選手が大成する大きなポイントと考えられる。
また主題からは外れるが、2部からの補強を“当てる”エヴァートンの補強手腕も無視できない。ジャギエルカとレスコットに加え、ティム・ケーヒルも2004-05シーズンにミルウォールから獲得した選手。マイクル・トンジ(シェフィールド・U→ストーク)、トム・ソアレス(クリスタル・パレス→ストーク)、ネイサン・エリントン(ウィガン→WBA)といった2部リーグのスターがプレミアで失敗していることを考えれば、デイヴィッド・モイーズとエヴァートンの選手を見る目は驚異的である。