今月はサッカー界の著名な選手の悲報が相次いで飛び込んできましたが、偶然にも彼らは共に過去に私の担当した選手でした。多少なりともサッカーに関わる仕事をする人間として、今私に出来るのは彼らを思い出して語らい冥福を祈ることだと思い書き記します。

Danke! Enke!

詳しくはコチラをご覧いただくとして、筆者がブンデスリーガを見始めた2004-2005シーズン、ロベルト・エンケはリーグの最優秀GKに選ばれ、その後も安定感たっぷりのプレーぶりは、衰えや致命的なミスが目立っていたオリバー・カーンを凌ぐものがありました。しかし、ハノーファー所属であることや、見るからに大人しそうなエンケに対する地味な印象を拭えませんでした。その後の2006年、当時ブンデスリーガを放送していたJスポーツでもエンケの愛娘の死は伝えられ、それでも休まず試合に出場し奮闘するエンケの姿は勇気を与えてくれました。その後、自らの手で代表復帰を勝ち取り、2008-2009シーズンには再びブンデスリーガの最優秀GKに輝きましたが、最近、細菌病に感染したことで数年前から患っていた鬱病が再発し、愛娘の眠る墓地近くの線路へ身を投じたのでした。勤勉なところが日本人と似ているとよく言われているドイツ人ですが、残念ながらその数が世界一である自殺という悪しき慣習まで似ているのでしょうか。もしかしたら彼が東ドイツ出身ということも影響したのかもしれませんね。

流浪のストライカー

メキシコ代表としてもプレーしたアントニオ・デ・ニグリスは、ギリシャ時間の16日未明、自宅のベッドにて心筋梗塞により31歳の若さで亡くなりました。情報が錯綜していますが、元来先天性の心臓疾患を抱えていたとのこと。2001年3月のブラジル戦で2ゴールをあげ鮮烈な代表デビューを飾ると、同年のコンフェデやコパ・アメリカにも出場。ハレド・ボルヘッティ以来の長身ストライカーとして大きな期待を背負う彼を初めて見たのは、2003年のビジャレアルでの試合。はっきりと言えばパッとしない選手でしたが、2004年のトヨタカップにオンセ・カルダスの一員として出場し、敗戦後に涙を流して悔しがる姿には心を打たれました。以降もEUパスポートを持っていたとはいえメキシコ人としては珍しく各国を流浪し、中国では書類の関係で正式加入に至らず、ブラジルのサントスでは登録期限を過ぎた加入と見なされるなどして早期退団を余儀なくされる騒動に巻き込まれました。それでも新天地トルコでは2007-2008シーズンに得点王争いを演じ、2008年に久しぶりの代表復帰を果たした際には何となく嬉しさを感じたものです。しかし、復帰を叶えたウーゴ・サンチェス監督がU-23北京五輪予選敗退の責任を問われ解任。自身も調子を落として再び代表から遠ざかり、6カ国目となるギリシャの小さな町ラリッサで来年のW杯出場を目指していましたが、突然その夢は絶たれ、波乱の人生に幕を閉じました。

表面上は元気に振る舞う人でさえ、その肉体や精神は病魔に冒されているかもしれません。ブラジル代表のアドリアーノもかつてエンケと同じく鬱状態となり、自殺寸前であったことを最近になって告白しています。今回亡くなった2人の抱えていた病気を知っていた人が周囲にはいたでしょうから、もしかしたらその悲劇を防げた可能性があります。一層のケアをクラブに心掛けていただくよう働きかけて行くことが我々ファンに出来る唯一のことでしょう。それはスポーツ選手に限らず、私たちの日常生活にも同じことが言えますね。

感動を与えてくれたことに対する感謝と共に故人を悼み、心よりご冥福をお祈りします。

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