2000年10月30日(月) - スポーツ・シティ・スタジアム
Japan
1
1-0
0-0
0
Saudi Arabia
望月 30'
得点者

この時代の日本代表は、「代表史上最高のチーム」と称賛されることも多いが、サウジアラビアと行われたアジアカップ決勝戦でもその強さを見せ付けた。

日本は、サウジアラビアの細かいパスワークと縦へのスピードを封じるために、全選手が連動したコンパクトな布陣を展開。この年のAFC年間最優秀選手賞に輝いたアル=テミヤトに対しても組織的なディフェンスで技巧を封じ、アル=ジャベルやファラターの強さや速さに対しても徹底抗戦した。ボールを奪ってからは、大会期間中にホットラインを形成した西澤、高原、森島のトライアングルを活かした攻撃でサウジ・ディフェンスを牽制。とりわけ、絶妙なタイミングでフリースペースに抜け出る森島や、出場停止の稲本に代わって起用された望月の“動き”は彼らをイライラさせた。

そして、ゴールもその“動き”から生まれる。前半30分、左サイドでFKを蹴った中村のボールは、ニアサイドを駆け抜けた高原、西澤を越えて、ファーサイドに飛び込んできた望月へ。難しい体勢ではあったが、上手く合わせ、貴重な代表初得点を記録したのであった。アジアカップを制するために監督のフィリップ・トルシエはセットプレーの練習を繰り返していたようだが、ニアサイドでマーカーを誘引して、ファーサイドに“穴”を作る戦法は、中東勢にありがちな特徴である「ボールウォッチャーになりやすい」というウィークポイントにハマり、この日も結果へと結びついた格好だ。

その後は、チャンスを作りながらも追加点を奪えず、苦しい時間を過ごすことになり、後半戦は守勢の時間が続いたが、守護神・川口もスーパーセーブを連発。ここまで完封試合がなく、派手な打ち合いを繰り広げてきた日本であったが、最後は全員一丸となって守り切るという“らしくない形”で2大会ぶりのアジアカップ制覇を成し遂げた。

(筆:Qoly編集部 T)



【Qolyインタビュー】FC琉球の元日本代表DF藤春廣輝が明かす…「伝説のCS浦和戦、あわやOG→劇的決勝弾」「オーバーエイジで出場したリオ五輪」の裏側