2011年1月、ノルウェーのローゼンボリからレアル・ソシエダに移籍したヴァディム・デミドフ。
中盤でもプレーできる足元の技術をもつ25歳のセンターバックは最終ラインから組み立てを担える存在としてリーガの舞台でもコンスタントに出場機会を得ている。 また、ノルウェー代表としてもプレーするデミドフだが、両親はともにロシア人なうえ、生まれはラトビアなど変わった経歴の持ち主でもある。
そんな彼が自身の生い立ちやスペインでの生活について語ったインタビューをロシアのサイトからの抜粋でご紹介。
ꀀ
ー (インタビューはロシア語より)スペイン語か英語にしたほうがいいですか?
いや、ロシア語で話せるのは嬉しいですよ。インタビューはだいたいスペイン語かノルウェー語で、英語やロシア語の機会はあまりないので。
ー ロシア語では会話するのは?
ノルウェーに住む母と父、兄弟です。それからガールフレンドも話せます。彼女はセルビア出身なのでロシア語もいけるんです。
ー彼女とはいつから?
半年ほど前からです。スペインではなく彼女が住んでいるノルウェーで出会いました。
ー なるほど。ところで、あなたの一家はどういう経緯でノルウェーへ?
私の父はハンドボールの選手としてソ連のナショナルチームでプレーしていました。 私が生まれた時、両親はリガ(ラトビアの首都。ラトビアは1990年に独立回復宣言するまでソ連領)に住んでいたんですが、父がノルウェーのチームに移籍したんです。 それにともなって家族でノルウェーに移り住みました。ノルウェーでの生活を私も兄弟もとてもエンジョイしましたよ。 (移住した当時)3歳だったので、ノルウェー語をネイティブのように操れます。家族で話すときはロシア語ですけどね。両親は100パーセント ロシア人ですし、自分もロシア人です。 ロシアに住んだことはありませんが。
ーノルウェーのチームとの契約が終わった後もロシアに帰国しなかった理由は?
分かりません。とにかく、そうなったんです。父はノルウェーでコーチとしての職を得ましたし。みんなノルウェーが気に入ったんです。父はかつてモスクワに住んでいて、母はサマラにいました。2人はカザフスタンのアルマトイで出会って、それからリガへ行って、そのあとはノルウェーです。 多くの国を渡り歩いているですよ。
ー カザフスタンで?
2人はスポーツ学校で出会いました。母もプロのアスリートだったんです。
ー あなたの腕に刻まれたタトゥーはロシア語ですか?
そうです。右腕には「Believe in yourself」、左腕と肩にはロシアのシンボルである鷲を入れています。この2つを入れたかったんです。 2年前に初めて彫った「Believe in yourself」は私のモットーです。私は宗教的な人間ではありませんし、神も信じてはいませんが、インスピレーションは大切にしています。 鷲を彫る際には家族全員の名前も入れました。両方ともロシアに関係してるものです。
ー おばあさんがサマラ(ロシア西部の都市)に住んでいると聞きました。訪ねたことは?
だいたい5年に一度くらいのペースで。オフの時間があまり長くないので、残念ながら毎年ってわけにはいかないんです。なので、最後に行ったのは6,7年前頃かな。
ー ロシアのチームと試合で対戦したことは?
ロシアやウクライナのチームと何度も対戦しました。そういう試合は楽しいものですよ。
ー ロシアでお気に入りのチームはありますか?
家族はスパルタク一筋です。私もスパルタクファンの父や親戚から「スパルタクス」の薫陶を受けました。 でも、自分はずっとロシアサッカーとは距離があったので、ファンというほどでもないんです。今ではロシアサッカーもノルウェーサッカーも興味をもって見ていますよ。 ノルウェー代表には以前のチームメイトたちも多くいますしね。
ー あなたは(サッカー選手としては)国籍を変更できないので、ロシア代表としてプレーすることはできません。でも、2009年にはノルウェー代表から離れ、ロシア代表でプレーすることもやぶさかではないとの趣旨の発言をしましたね。それがノルウェーで問題になることはありませんでしたか?
何の問題にもなりませんでした。当時私は(どちらの代表チームを選択するか)躊躇していたんですが、それもすべてクリアになりました。ノルウェー代表のメンバーは私がロシア人の血を引いたロシア人でノルウェー人ではないことは分かっています。ただ、私自信は自分のことをノルウェー人だと思っています。20年以上も生まれ育ってきた土地ですからね。ロシア代表も私のことを注視してくれていましたが、見通しがはっきりしなかったんです。 熟慮の末、最後はノルウェーのためにプレーすると決めました。すでに親善試合ではノルウェー代表としてプレーしていましたし、ユース代表の経験もあったので。 ロシアにルーツがあることはとても誇りに思っています。でも、私はノルウェーで育ち、ノルウェーでキャリアを積んできた、いわばノルウェー市民なんです。
ー では、スペインに住み続けることは?
それはないです。将来はガールフレンドがいるオスロで2人で暮らすことになると思います。ちょうどノルウェーに家を買ったところですし。もし子供ができたら、その子はロシア人とセルビア人のハーフになるでしょうし、ロシア語を話すことになるでしょうね。 ただ、このところスペイン語やノルウェー語でコミュニケーションをとることが多いので、ロシア語がちょっと不安だったりします。 引退した後、オスロに戻ればロシア語やセルビア語を話す機会は増えると思いますが。
ー あなたは現在リーガでプレーする唯一のロシア系ですが・・・
えっ、唯一なんですか?
ー そうです。レアル・マドリー・カスティージャにロシア人のデニス・チェリシェフ(21歳のレフティーウィング)はいますが、1部リーグではあなた一人です。
そんなこと考えてもみなかった。面白いですね。スペインではコンスタントにロシア人がプレーしていると聞いていました。 ここサン・セバスティアンではヴァレリー・カルピン (元ロシア代表MF、現スパルタク・モスクワ監督)はとても広く知られた存在ですし、 ドミートリイ・ホフロフ(元ロシア代表MF、現ディナモ・モスクワ)も在籍してましたから。ファンから今でも2人の話は聞きますし、愛されてますよね。 そういった意味で私は彼らの跡を追ってソシエダに来たといってもいいかもしれません。ここではロシア人プレイヤーに対していい印象があるので、すんなりと馴染むことができました。 でも、リーガで唯一のロシア系だとは知りもしませんでした。ノルウェー系としても唯一だとは。
ー サン・セバスティアンはスペインでも随一に地価が高い地区ですが、そこでの暮らしはどうですか?
素晴らしいですよ!本当に素晴らしい街です。ヨーロッパのなかでも最も美しい都市のひとつです。この街とこのチームを愛しています。
ー そんなサン・セバスティアンにあるバルの多くにはバスクの英雄として政治犯のポスターが貼られていて、彼らをサポートする集会にはソシエダの選手も参加しています。こういった政治犯をサポートするような雰囲気は他の都市にはありませんよね?
それは確かにそうです。でも、この種の話題はあまり聞かれませんよ。少なくともチーム内では。
ー 本当にそうですか? 第2GKであるイニャト・スビカライの父親はETA(バスクの分離独立を目指す組織「バスク祖国と自由」)の一員として逮捕され、昨年まで22年間服役していました。
それはそうですけど、それは私とは関係ありません。チームの議題に上がるようなことじゃないですよ。
ー 最近、ソシエダからの早期退団の可能性が高いと報道されましたが、この噂はデタラメですか?
ソシエダとの契約は2012年6月までですが、それ以上契約は更新しないだろうし、ここには留まらないだろうと言ったんです。 フリーで退団する前にクラブは私を売ることもできますから、この夏や冬に他のクラブに移籍する可能性もあります。ロシアやノルウェー、イタリアのクラブから関心を寄せられていることは知っています。でも、いまはソシエダでのシーズンをよいものにするため全力を尽くしています。将来については休日にでも考えますよ。
ー サン・セバスティアンに留まらないのはなぜですか?
ここが本当に好きだし、クラブも好きです。でも、家族との距離が離れすぎています。もっとガールフレンドや父や母、兄弟や姪っ子たちと過ごしたいんです。もっと近くにいたいんです。
ー でも、イタリアなら距離的に大差ないんでは?
そうですね。でも、成り行きを見てみましょう。例えば、ドイツなんかはイタリアやスペインに比べオスロにより近いですから。
ー 世界中の多くの選手たちがリーガを目指すなか、あなたはそこから出て行こうとしている。
理解してもらえないことは分かっています。でも、私は家族あっての人間なんです。フットボールも大切ですが、家族はもっと大切な存在です。