27日、藤田俊哉は「プロサッカー選手としての生活から引退することを決断しました。海外も含めて魅力的なオファーもあり、凄く悩みましたが、現役中から自分自身で思い描いていた将来のプランに対し、新たな挑戦を選択する気持ちが強く今回に至りました」と自身のブログで新たな道へ歩むことを発表した。
通算Jリーグ出場試合数は512試合(J1:419、J2:79、オランダ:14)で総得点数は107(J1:100、J2:6、オランダ:1)。日本代表としては24試合に出場し3ゴールを記録。数多の個人、チームタイトルを獲得し、日本を代表する攻撃的ミッドフィルダーとして一つの時代を築き上げた彼の歴史の一部分を動画で振り返ってみよう。
清水商時代には高校サッカー史上に残る伝説のチームでプレー。2年時には全国制覇も。
1995年には日本代表初キャップを達成。ラーション要するスウェーデンとも対戦。
1996年のオールスターではピクシーのゴールをアシスト。
ギネス記録となった中山の4試合連続ハットトリックもきっちりとお膳立て。
1999年には招待国として挑んだコパアメリカにも参加した。
J史上最強との呼び声も高い黄金期のジュビロ磐田では中盤の要として君臨。
PK職人としても名を馳せ、2000年にはサッカー史上初となるPKでのハットトリックを達成。
自身のハイライトとも言うべき2001シーズンはJリーグMVPに。
2003年は期限付き移籍でオランダのユトレヒトに加入。PSV戦ではゴールも記録した。
2005シーズン途中からは名古屋へ。ピッチ内外で多くの若手の見本となった。
名古屋から戦力外通告を受けた後、2009年からは熊本でプレー。
自身初となるJ2でのシーズンはリーグ戦50試合に出場して4得点をマーク。
2011シーズンからはジェフに所属するが、リーグ戦の出場はわずか4試合に止まり、同年限りで退団した。
(筆:Qoly編集部 T)