マージーサイドの赤と青を知る男たち

今晩22時30分より、イングランド屈指のダービーマッチ、マージーサイド・ダービーが行われるが、その試合を前に、イングランドのWebサイトで取り上げられていた「2つのマージーサイドを知る男」、つまり、リヴァプールとエヴァートンの両クラブに在籍したことがある特異なプレーヤーたちを紹介しよう。

ピーター・ベアズリー

(リヴァプール:1987~1991 エヴァートン:1991~1993)

リヴァプールとエヴァートンのみならず、マンチェスター・ユナイテッドとマンチェスター・シティにも所属するという、ある種のタブーを破った男。

その得点力はもちろんのこと、チャンスメイク能力にも長け、ギャリー・リネカー、ケヴィン・キーガン、ジョン・オルドリッジ、イアン・ラッシュなどと抜群のコンビネーションを築いた。

イングランド代表としては59試合に出場し、EURO1988、1990年W杯にも参加している。

ギャリー・アブレット

(リヴァプール:1985~1992 エヴァートン:1992~1996)

「マージーサイドの両クラブでFAカップを掲げる」という体験をした唯一のプレーヤーであり、A代表経験こそないものの、両クラブで共に100試合以上に渡ってリーグ戦に出場した実力者。

本職は左サイドバックだったが、ユーティリティー性に秀で、リヴァプールに所属した後期には主にセンターバックとしてプレー。また、時にはセントラルミッドフィルダーでも起用された。

2001年に現役を退いた後は、指導者として道を歩んでいたが、2010年夏に非ホジキンリンパ腫であることを知り、闘病生活に。2012年1月2日に死去した。

ニック・バーンビー

(エヴァートン:1996~2000 リヴァプール:2000~2002)

豊富な運動量にスピード、中盤から前線にかけてどこのポジションでもプレーできる万能性を武器にイングランド代表にも名を連ねたダイナモ。

トッテナムとミドルズブラで名を上げ、1996年に当時のクラブレコードとなる移籍金575万ポンドでエヴァートンに加入。4シーズンの所属期間でリーグ戦116試合に出場して18得点を記録した。その後、2000年にリヴァプールへ移籍。赤のマージーサイドでは期待通りにはいかなかったが、エヴァートンからリヴァプールへ移るケースは、1959年に行われたダニー・ヒクソン以来であったこともあり、当時は大きな話題を呼んだ。

アベウ・シャヴィエル

(エヴァートン:1999~2002 リヴァプール:2002~2003)

マヌエウ・ルイ・コスタ、ルイス・フィーゴらポルトガル黄金世代の一人。人目を引く奇抜なファッションセンスが印象深いが、積極的なディフェンスとボール奪取能力には定評があり、全盛期は右サイドバックとして、晩年はセンターバックとしてキャリアを築いた。

また、「渡り鳥プレーヤー」としても知られ、エヴァートンとリヴァプール以外にも、ハノーファー、ローマ、レアル・オビエド、PSV、LAギャラクシーなど世界各国のクラブでプレーした経験を持つ。

デイヴ・ヒックソン

(エヴァートン:1948~1955、1957~1959 リヴァプール:1959~1961)

速い、強い、高いと三拍子を兼ね備えた典型的なセンターフォワードで、エヴァートンではロックンロールスター級の人気を博した名ストライカー。

リヴァプールでも素晴らしいパフォーマンスを見せたが、自他共にエヴァトニアンであり、82歳という高齢となった今でもグディソン・パークのスタジアムツアーのガイド役を担うなど、「エヴァートンのために死にたい」という信念を貫き続けている。

(筆:Qoly編集部 T)

{module [170]}
{module [171]}
{module [190]}

【厳選Qoly】なぜ?日本代表、2024年に一度も呼ばれなかった5名

ラッシュフォードの私服がやばい