孫子の思想から見るマルティネス式パスワーク。―善く敵を動かせ。

孫子。その単語を耳にした時、どんなイメージが思い浮かぶだろうか。

「孫子」とは、中国の思想家である孫武によって執筆された中国の戦術書であり、当時新興国であった呉の発展に大きく寄与した書物であると言われている。また、多くの中国の思想家や日本の武将にも大きな影響を与えており、武田信玄の「風林火山」も元々は孫子が使った言葉であることは有名。日露戦争で活躍した東郷平八郎も、この孫子を愛読していたという。

閑話休題。さて、ここから本筋に入っていくことにしよう。今回、僕が取り上げるのはウィガンを率いるスペイン人指揮官ロベルト・マルティネスの作り上げているパス回しに見られる工夫である。ウィガンはプレミアでは異質な3‐4‐3を導入するチームとして有名だが、その組み立てにも独特な工夫が散りばめられている。

「孫子」の中にこういった一節がある。

故に善く敵を動かす者は、之に形すれば敵必ず之に従い、之に予うれば敵必ず之を取る。利を以て之を動かし本を以て之を待つ。故に善く戦う者は、之を勢に求めて、之を人に責めず。

これを現代の日本語に訳すると、「敵を動かす名将は、敵をこちらの動きに応じて動かせ、こちらが利益を示せば敵は必ずこれを取ろうとする。ゆえに利を見せて敵を誘い出し待ち構えた本陣がこれを討つ。名将は勢いよって勝ちを得ようとし、将兵の努力ばかり依存しない」というものである。つまり、敵を動かすことによって相手の勢いを上手く生かし有利に闘いを進めることが出来ると言いたいのである。

そして、独特なウィガンのビルドアップはこの言葉を想起させる特徴、相手を動かすことによってパスコースを作るような工夫を行っている。あえて餌を撒いて食いつかせるかのようなパス回しがウィガンの真骨頂になりつつあるように私は感じているほどだ。

まずは、サイドにボールがある場合である。下図のように右WBにボールが入った時、相手は、白い丸のエリアでプレッシャーをかけてボールを奪い取ろうとする。このタイミングで、×で示したウィガンのボランチの選手がボールに寄っていくのである。これは相手からすれば、わざわざ狭いところに追い込まれてくれているようなもの。チャンスだと思ってプレスを強めながら、×の選手へのパスにもすぐさまプレッシャーをかけられるように寄せていくことになる。

しかし、実はこれが罠。×で示した選手の動きによって相手のプレッシングを誘発させておく。この状況に合わせて、更に全体が右サイドにスライドしたところでウィガンは次の図のようなパスを出すのだ。

あえてほぼパスコースに入った×の選手ではなく、その向こうにいる選手へ。この動きによって密集地を作った相手の努力が無駄になるだけではなく、バランスが崩れたところで攻撃を仕掛けていくことが出来る。また、右WGに入った選手が上手く相手の中盤を牽制するように下がってくることで、ボールが入る選手にもプレッシャーがかかりにくくしているのである。バルセロナなどもやっているが、このようにパスコースに2人が入ることにより相手を困惑させるという技術が近年盛んにパスを繋ぐチームにおいて見られる。

さて、もう一つのケースを見てみよう。次は、中央にボールがある時に良く見られるパス回しである。

まずボールホルダーになるボランチが、ボールをもう一人に預けると共に縦に駆け上がり、全体がそれに合わせて縦を狙って動き始める。そうなると、必然的に相手も全体的にそれに合わせて下がることによって縦に出るパスを警戒することになる。

そこで、縦にパスを出すかと思いきやボランチは横パス。ここには左CBがオーバーラップしてきてかなり自由な状態でボールを受けることが出来る。こうなればCBとしては自由な状態かつ、味方が高い位置に出た状態でボールを受けることが出来るので、更に相手を押し込んでいけるのだ。

これらのように、ウィガンのパス回しは相手を自分たちのフリーランで動かすことによってパスコースを作り出すことに長けている。まさに、抜粋した孫子の思想のままである。利を見せて誘い出し、安全なところへボールを逃がす。相手チームが、それを警戒し始めれば利用することすら出来る。こういったパスを見せることによって敵の集中力を分散させるのだ。

11人が同じ絵を共有するウィガンサッカーは、非常に面白い。確かに、個の能力の不足によって今年も降格圏で苦しんでいるものの、「見る価値があるフットボールである」と私は自信を持っている。

最後に、正攻法と奇襲の使い分けが勝利に直結するという意味の孫子の言葉で締めたい。

「『迂直の計』を先知する者は勝つ。 此れ軍争の法なり」

※フォメ―ション図は(footballtactics.net)を利用しています。

 

筆者名 結城 康平
プロフィール サッカー狂、戦術オタク、ヴィオラファンで、自分にしか出来ない偏らない戦術分析を目指す。
ツイッター @yuukikouhei

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