3月15日、イングランド・プレミアリーグのウィガン・アスレティックで守護神を務めているオマーン代表GKアリ・アル・ハブシが、ナショナル紙のインタビューに答えた。
ウィガン・アスレティックは現在勝ち点24で降格圏内の18位に沈んでおり、昨シーズンと同様に残留争いに巻き込まれている。しかし記事によれば、ウィガンの練習場の周りには陽気なムードが漂っているという。
「我々は、再びやり遂げることが出来ると信じているからさ。昨年は、リヴァプール、アーセナル、マンチェスター・ユナイテッドを破った。特別なことを成し遂げた。それを繰り返すことが出来る。
(なぜこんなに苦しい状況に?) 我々は怪我人が多かった。特に守備陣にね。ディフェンスとゴールキーパーはチームにおいて最も重要な部分であり、グループが変わらなければならないときにそれが壊れていたら、本当に難しいことになるんだ。僕はレギュラーの選手のプレーは知っているし、ピッチでどういう動きをしたいかも分かっているんだけどね。
でも今、皆が帰ってきているから、今後の成功を信じているんだ。マルティネス監督には感謝している。彼は皆に自信を与え、昨季はチームをプレミアリーグ残留に導いた。このクラブをファミリーにしている」
現在ではアジア最高のGKという評価を堅いものにしたアル・ハブシであるが、若い頃から有名な選手ではなかった。
「僕は毎日学び、向上している。ゴールキーパーは21歳より31歳の方がずっと良い。より強固になるし、自信もついてくるからね。ウィガンでは、オマーンにいたころには想像もしなかったレベルでプレー出来ている。
国際試合はテレビで見るだけだったね。フィールドプレーヤーだった僕が16歳の時、サッカーのコーチをしていた兄がゴールキーパーの方が向いているのでは?と言ったんだ。それを試してみて、キーパーが好きになった。
(02/03に移籍したノルウェーでのプレーは?) オマーンから離れるのは初めてだったし、天気は……オマーンの逆だよね。直行便もなかったし、家もないし、何より僕が若かった。
(2004年のボルトン移籍について) 僕はボルトンではプレーするチャンスを長い時間待つことになったね。最初はそれでも幸せだったよ。23歳だったし、ただイングランドにいられるだけでもね。ヨッシ・ヤースケライネンがファーストGKであることも、しっかり理解していたし。
でも2年も経ったらプレーしたくなってね。3年半も経ったらクラブを離れたくなった。プレミアリーグでプレーできる力があることは知っていたし、それを証明する準備も出来ていたから。
オーウェン・コイル監督(当時)と会って、『あと一年ベンチに座らせるなら、ローンに出してくれ』と伝えたんだ。彼はオファーがあったら止めないと約束してくれた。そして、ボルトンで住んでいた場所からわずか数マイルの場所にあるクラブが、僕の希望となったんだ。
ウィガンに来たときはファーストではなかったが、リーグカップのハートルプール戦でチャンスを貰って、クリーンシートを達成した。そして、その4日後のトッテナム戦でも1-0で勝ったんだ。
ここには中東出身者の大きなコミュニティがある。オマーン、UAEなどからマンチェスターの大学に通うために来ている人も多い。ここでは多くの友人が出来たし、何より僕の妻にとっては生活がとても容易になったよ。
あと、移動も楽になった。オマーンからノルウェーに行くのはとても困難なことだったが、マンチェスターからは直行便で6時間だ。
結婚してからもオマーンのことを忘れたことはない。友達や家族が良く訪ねてきてくれて、妻がオマーン料理を振る舞う。ボルトンにあるモスクにも満足しているよ。ムスリムもクリスチャンも平等に扱ってくれる。寛容な社会だと思う。
妻のベムサはサルフォード大学で学んでいる。簡単なことじゃないと思うね。僕はサッカー選手だし、5歳の6ヶ月の子供もいて、勉強と両立しているわけだから。我々はここでの生活を本当に楽しんでいるよ。
多くのプレッシャーは感じている。何せ中東では唯一のプレミアリーガーだからね。ツイッターやフェイスブックに寄せられるメッセージからも、皆がサッカーを愛していることが分かる。良い前例になるために何かを成し遂げたい」