6月のコンフェデレーションズカップでも活躍し、今シーズンからトッテナム・ホットスパーでレギュラーポジションを掴みとったジョゼ・パウロ・ベゼハ・マシエウ・ジュニオールこと、パウリーニョ。

クラブ、代表ともにめきめきと頭角を現し、今後の成長がいっそう期待されているパウリーニョだが、意外にもサッカーを辞める決断を強いられるまでに至っていたそうだ。

弱冠18歳でヨーロッパデビューを果たしたパウリーニョは、06-07シーズンをリトアニアリーグのヴィリニュスで過ごす。実はここで、耐えきれないほどの人種差別を受けていたと彼の言葉を各メディアが伝えている。

パウリーニョ(トッテナム・ホットスパー)

「私は人種差別を受けたんだ。

ピッチを後にしようとしたら、ファンがモンキーチャントをしだしてコインを投げつけられたことが2回はあった。そして思ったんだ。このことを許すわけにはいかない、とね。そういうわけで、ポーランドに移籍する決断をしたんだ。

ポーランドでは、個人的な問題については言及したくなかったんだ。だって、ポーランドが私を成長させてくれたのだからね。しかし、ポーランドでも人種差別は続き、私はそこで辛い日常も過ごした。クラブには、ある特定のファンに関する問題があったんだ。それでも、インタビューの中でそのことを述べたことはないし、悪口は言いたくないけどね。

希望も自信も失ったね。完全に行き詰まってしまい、悲しみがこみ上げてきた。

サッカーをやめてしまうかと本当に思った。そして、そういった状況に置かれるようなことをわざわざする必要もないなとも思ったんだ。だから、3週間サッカーをしなかったし、主に家族からの説得があるまでゲームに戻ろうとはしなかったね。

私のママとパパに対して責任を感じたし、妻にもひどいことをたくさん言ってしまった。彼女は、『あなたのママとパパはいつもあなたを支えてきてくれたし、どちらもあなたのために最善を尽くしてきてくれたじゃない』と語りかけてくれ、『両親のためにも、サッカーに戻るべきじゃないかしら』と説得してくれたんだ。

そして彼女は『もしあなたがサッカーをやめるなら、これからどうするの?』と言ってきたんだ。まさにその通りだったよ。もし私があそこでサッカーをやめていたら、私には何も残っていなかっただろうね」

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