10月8日、リヴァプールに所属しているフランス代表DFママドゥ・サコは、ル・パリジャン紙のインタビューで「パルク・デ・プランスで涙を流したのは、父のことを思い出したからだ」と話した。

ママドゥ・サコは今夏、下部組織時代から所属していたパリ・サンジェルマンを離れ、イングランドのリヴァプールへと移籍している。

9月22日のモナコ戦を観戦するためにパルク・デ・プランス(パリ・サンジェルマンの本拠地)を訪れたママドゥ・サコは、メディアのインタビューで将来的にクラブに復帰することを匂わせたほか、目に涙を浮かべる場面を見せた。

それによってリヴァプールのサポーターからは批判を受けることになったサコは、この行動について謝罪するとともに、パリ・サンジェルマンへの思いに理解を求めた。

パリジャン

ママドゥ・サコ

「一部の人々は、リヴァプールに敬意を持っているのならば、涙を流してはいけないと話していた。僕は謝罪をしたい。

僕は人生の半分をパリで過ごしてきた。多くの人々が、僕の成長のために力を貸してくれたんだ。

僕はパリ・サンジェルマンとの強い結びつきを持っていて、感情の昂ぶり無しにはパルク・デ・プランスを去ることは出来なかったんだ。

あのインタビューの瞬間、僕が13歳の時に亡くなってしまった父、スレイマンのことを思い出していた。母もスタンドにいた。

この瞬間、きっと父は僕の姿を見たかっただろうなと考えた。おそらく息子の姿を誇りに思ってくれるのではないかと思った。そうしたら、涙が溢れてきたんだ。

僕はまだパリ・サンジェルマンのファンだし、それはおそらく一生変わらないだろう。

マルセイユとのダービーマッチ(10月7日に開催、PSGが2-1で勝利)は、レストランで見た。全てのゴールの際に、僕は立ち上がって歌った。 『Ici, c'est Paris!』とね。

でも、僕はフランス代表に戻るために、パリ・サンジェルマンから離れなくてはならなかった。再び多くのことを証明しなくてはならない。僕はまだ、そのレベルにあると思っている。

リヴァプールでも、僕のポジションには非常に良い選手が揃っている。しかし、とてもクリーンだ。

パリ・サンジェルマンではそれがとても複雑だった。まあ、いろいろあったけれど、特定の誰かを罵りたくはない。全く意味のないことだ。そして僕は振り返ってドアを閉めた。その時、クラブを離れることに決めたんだ。

今、僕は英語のレッスンを受けている。フットボールと同じようには行かないけどね。僕は毎日学習しているし、ロジャース監督からの助言も聞いている。彼は面白い。監督は僕を『キラー』って呼ぶんだよ。

ピッチの中では、僕はチームメイトと上手く適合しようと努力している。より向上するためには、意思疎通を図る必要があるからね」

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