はじめまして、こちらでコラムを書かせていただくことになりました榎本耕次です。90年代の終わり頃からフットボールに興味を持ち始めました。マッチレビューのようなものではなく、自由なトピックで書いていけたらと考えております。よろしくお願いいたします。

皆さんは、マーティン・スコセッシという名前をご存知だろうか。言わずと知れたハリウッド映画の巨匠である。では、その数々のヒット作を世に送り出した彼を語る上で、絶対に外せない名前がもう一つある、という事はいかがだろう。ロバート・デ・ニーロ、ずばりその名前である。この、これまた言わずとしれた稀代の名優と共に、スコセッシは世界最大級のエンターテインメント界を席巻した。デ・ニーロはスコセッシの一癖も二癖もある注文にその類い稀な演技力で完璧に応え、このコンビの劇場チケットは全世界で飛ぶように売れたのだった。

監督とプレーヤー。この二つの関係は、実にシンプルで明確だ。前者の要求に後者が応え、結果を出す。無論、フットボールにおいてもこの相関が崩れることはない。

幸運にもデイヴィッド・モイーズはこの夏、引退を表明したサー・アレックス・ファーガソンから、マンチェスター・ユナイテッドの次期監督として指名を受けた。“幸運にも”とあえて前置いたのには、私自身がコテコテのユナイテッドファンであるが故の希望的願望が、勿論含まれている。だが一方で、現段階での彼に対する世界の評価とは、多少のギャップを感じずにはいられないのも正直なところだ。そこで今回は彼の、そしてモイーズ・ユナイテッドの歩むべき道を、いくつかのポイントから示していきたい。偉そうなことを言ったことは重々承知であり、なんとも居た堪れない気持ちではあるが、あくまで一つの意見として気楽に読み流していただきたい。

《チーム・モイーズの体質》

“勝ち続ける”ことがモチベーションに大きく左右されるのは容易に予想がつくはずだ。

リーグ戦とは総力戦であり、それを制するには安定的なチーム状態に加え、厚く、強力な選手層が必要不可欠である。それに対し、カップ戦は単発のノックアウトシステム。その一戦にそのシーズンのカップ戦ファイナルへの挑戦権をかける。爆発的なチームコンディションをマネジメントすること、すなわち指揮官のモチベーターとしての能力がより試される。昨年のキャピタルワンカップ、FAカップを制覇したのはスウォンジー・シティとウィガン・アスレティック。特に後者はファイナルでマンチェスター・シティを倒したが、リーグ戦では2部降格という結果に終わっている小さなクラブだ。モイーズには、プレミアリーグで12年に渡り指揮を執った経験がある。その経験はもちろん重要で、偉大なものだ。しかしながら、私が懸念するのは、その長い年月の間に獲得したタイトルの数だ。エヴァートンという中堅クラブを率いる中で、多くを望むことは難しいとしても、“0”というのはいささか考えものである。さらに言えばカップ戦ファイナルに進出したのはわずかに一度だけである。

モイーズのチームがこれまであらゆるタイトルと無縁だったこと、ある程度の順位に毎年コンスタントに位置することとは、マンチェスター・ユナイテッドを指揮するに当たってどう作用するのだろうか。ミカエル・ラウドルップやロベルト・マルティネスが突出したモチベーターだったことも事実ではあるが、モイーズに求められる最初のタスクとは“勝ち癖”をつけ、それをコントロールすることではないか。ここ3シーズンのモイーズ・エヴァートンを同年のスパーズと比較してみる。ここ数年で大きな成功を収めたこのロンドンのサクセスチームが、プレミアリーグ3年間114試合で食らった失点数は、それぞれのシーズンで46、41、46の計133である。対してエヴァートンは40、40、45の計125失点だ。総失点で下回るエヴァートンだが、ドローの数では41試合と、32試合というスパーズのそれを大きく上回っている。失点が少なく、引き分けが多い。この体質はメガクラブを率いる上ではネガティブなデータだと私は考える。イーブンな状況でチーム・モイーズは勝ち点3を手に入れられないのだ。スパーズと比べて、攻撃陣のスカッドに差があるとはいえ、勝負を賭ける“勝負師”としての才に少し乏しいように思えてならない。2試合を2つのドローで勝ち点2を手にするよりも、1勝1敗のほうが得るポイントが高い。その1ポイントの積み重ねが、5月の順位に確実に影響してくる。さらには、その勝ち点3が、格上からのものであったり、敗戦明けのゲームであれば、チームのモチベーションを高く引き上げることが出来るはずだ。モイーズ軍団とは、この世界ではあまり聞き慣れない、悪い意味での“波がない”集団なのではないか。モイーズが12シーズンに渡るエヴァートンでの仕事の中で戦ったプレミアリーグのゲーム数は418にのぼる。その膨大な数字を整理すると、彼は1試合平均で1.50ポイントを獲得していることも分かった。これは中堅クラブにおいては立派なスタッツだが、もちろん209勝209敗の1.50ポイントではない。少ない失点、多くの「勝ち点1」が生み出した数字である。そしてこれは、整えられた戦力がしかるべき戦術に則って得た、“得るべくして得た”ものとも言えるだろう。基準ポイント1.5から、いい日は3、悪い日は0に振れた結果だ。だが、私はこれでは念願のメジャータイトル獲得が難しいように思う。タイトルを獲るチームとは、“悪い日でも勝つ”ことが出来るチームだからである。内容が悪くても勝つ、“なんだかんだ”成功のシーズンにしてしまうのがメガクラブの常套手段だ。サー・アレックスを思い出そう。

彼がローテーションシステムの達人であることは周知の事実であるが、その称号は年間の試合数がまだ少ない時代にはなかったものだ。彼は年間50以上のマッチデーには、18から20人、もしくはそれ以下の人数ではトロフィーが勝ち取れないことを理解し、時代に合わせてそれを実践していった。そう考えていたマネージャーはいただろうが、彼のシーズンを通じてのチームマネジメントは別次元にあった。例えば06-07シーズンは、若いチームを開幕3連勝でスタートさせることで、一気に5月まで駆け抜けたが、近年の成熟したチームは年明けごろからの後半戦にチームのピークを設定し、ラストスパート、もしくはその手前で他チームを振り切っている。ゲーム単位でみても、10-11シーズンのチャンピオンズリーグ、クォーターファイナルでのパク・チソン、セミファイナルでのアンデルソンを例に、プレーヤーのキャラクターを敵対するチェルシーやシャルケというチームに上手くぶつけ、厳しいスケジュールを白星、つまり連勝で切り抜けている。さらに昨シーズンは、レアル・マドリーとのセカンドレグ直前のエヴァートン戦前日、2位につけていたマンチェスター・シティが躓いたことをうけ、急遽主力をエヴァートンにぶつけた。プライオリティをリーグ戦に置いていること、そしてより確実にタイトルをとることをチームに示し、結果として見事にリーグタイトルを奪還した。このように、勝ち続けることで植えつく“勝ち癖”とその意識を、完全に全員と共有することに成功していたのだ。

その意味ではマルアヌ・フェライニとレイトン・ベインズの獲得にモイーズがこだわったのは十分に理解できる。自分の“勝ちのスタイル”を知り、それを体現するプレーヤーを、チームに置いておきたいのは、シーズンにおけるリズムを作ることの、この上ない助けとなるだろう。しかしどのような過程であれ、モイーズにはこの体質を変え、まずは連勝から自分の勝利の波を掴むことが必要であるように私には思える。

《ヤング≠アダルト》

英国勲章のナイト位を叙勲した男、と思うとやはり遠慮がちになってしまうかも知れない。モイーズは“指名を受ける”という受身な立場も手伝ってか、就任当初から異常に謙虚であった。謙虚であり過ぎた。いや、もはや謙虚というよりもご機嫌とりのような立ち振る舞いで、夢の劇場のゲートをくぐったのだ。義理堅く、情に厚い人柄、そして堅実な仕事ぶりを買われたのは周知の事実であり、彼の良さであることに違いはないが、これがジョゼ・モウリーニョやユルゲン・クロップであったら、就任から4ヶ月が経過してもそのような態度をとることはしなかっただろう。ファーガソンを過去のものとし、自らが率先してイニシアチブを握っていくような絶対的な存在でなければ、メガクラブのマネージャーは務まらないはずだ。「オレのクラブ」と言わんばかりの存在感で舵を握ること、確固たるインテンシティを持ち、マネジメントしていく必要があるはずだ。

さらにフィル・ネヴィル、そしてライアン・ギグスをコーチとしてスタッフ陣に招き入れたことには、私を幾分か落胆させた。刷新された外部組とプレーヤーの架け橋をうまく、自然に構築したポジティブな印象も確かになくはないが、これは「脱・ファーガソン」のキャンペーンに沿ったものではない。この意見に賛同して下さる読者の方がどの程度いらっしゃるかは分からないが、私は声を大にしてこれを謳いたい。理由はシンプルで、ファーガソンの色を残したまま職務に就くことは、不利極まりないからである。確かにサー・アレックスにまだ“サー”がついていない、就任したての頃の彼は成功していなかった。これを引き合いに出して、モイーズに時間が必要という人は、ファーガソン自身も含め多く存在する。それは決して間違った言い分ではない。しかしそこに私は“ある程度”というワードを付け加えたい。出来れば太字で。というのも、今と当時ではフットボールを囲む環境がまったく違う。マンチェスター・ユナイテッドは名実共にイングランド最大のメガクラブという地位を確かなものとし、ワールドマーケットに一部上場をするような、1フットボールクラブを超えた存在に成っている。長期体制をモットーとするユナイテッドといえど、ここ10年の他のビッグクラブでの交代劇を見ても、鳴かず飛ばずのチームに我慢を続けられるかは分からない。そして、デイヴィッド・ギルの後任としてCEOに就任したエド・ウッドワーズ。2006年にJPモルガンから引き抜かれたビジネスライクなこの男も、モイーズという人間とは相性が悪いような気がする。このような状況下で、ファーガソン体制下のファミリークラブを継ぐことには希望を抱きづらい。いまこそ、革新の時であり、モイーズは新たなユナイテッドを構築しなければいけない時なのではないか。アレックス・ファーガソンの残した数々の栄冠が記憶から消えることはないが、この絵に描いたようなチャンピオンチームを“引き継ぐ”のではなく、新たな色の、勝者の軍団として変貌させていく必要があるのではないか。あの、“スーパー”バルサですら、それを諦めたのだから。

9年前、新進気鋭のジョゼ・モウリーニョがチェルシーに連れて来た異様なコーチングスタッフたちを思い出した。

クラウディオ・ラニエリのチームは03-04シーズン、無敗優勝のアーセナルに次ぐ2位でフィニッシュし、ロマン・アブラモヴィッチのチェルシーは上々のスタートを切っていたが、モウリーニョはそのクラブを躊躇なく解体した。

彼はプレミアリーグという新たなステージでも、自分の勝利のスタイルを貫くため、それを理解した人間であるスタッフチームとリカルド・カルヴァーリョ、パウロ・フェレイラをロンドンへ連れてきた。これは一見、モイーズがつれてきたスタッフ陣、そしてフェライニと同じ現象に映るかもしれない。だが、大きな違いは、モウリーニョと共にやってきたのは、前年のチャンピオンチームであったということだ。成功を手にしたクルーであり、モイーズのそれとはどうみても異なるスカッドである。ファーガソンは、“引継ぎ”時に、現行のチームスタッフを残すよう推奨したと言われているが、モイーズはこれを断った。ニュー・ユナイテッドキャンペーンの一環としては納得であるが、そこにコーチとしてはなんの実績もないフィル・ネヴィルでありギグスを就任させたことは、やはり納得がいかない。ユナイテッドの血を引く者、という条件だったのであれば、なぜコーチとしての実績を持つオーレ・スールシャールやロイ・キーン、ギャリー・ネヴィルの名前が挙がらなかったのだろうか。もし交渉が行われたとしても、それは難しいものになっていただろうが、そのような動きが一切なかったのであれば、やはりこれは残念な事態だろう。

無論、エヴァートンとユナイテッドでは事情が大きく異なる。大企業のトップに就任した中小企業の社長。そして彼は、長くを共にしてきた自前の幹部と共にやってきた。大きな仕事のノウハウがない彼らが持つのは、12年間にも及ぶキャリア、そしてひとつのチームコンセプトである。しばし“労働者たち”と称されるハードワークを厭わないスタイル。自らの脚と頭で稼ぐスタイルを体現するのに適した人材、つまりチームの顔となるプレーヤーはこのチーム内に、いるのだろうか。

《キング・ルーニーと労働者たち》

監督とプレーヤー、この相関について今一度整理しておこう。前者は勝つ為のチームを作り上げ、そのゲームに対する全ての権限を所有している。しかし、彼らは実際にピッチに立ち敵と対峙することはない。あらゆる準備や戦術、コンセプトを試行錯誤し、それを体現させる者こそが、11人の後者である。いわばこれは、監督たちによる90分間のショーケースだ。

観客の前でなにかを発表する時の場には、“主役”という存在がある。そして同時にそれは、例外なくそのイメージに属した、象徴的な存在と言えるだろう。ジェリー・ブラッカイマーが『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズにジョニー・デップを起用したように、U2のフロントマンがポール・ヒューソンであるように、裏方の準備した絵の具で実際に絵を描くのはまさしく主役の役割なのだ。例えば、私が記憶している近年の衝撃的ユニットであるファビオ・カペッロのユヴェントスは、勝つためだけに組織されたような、冷酷なまでの“強さ”があった。いろいろと語りたい気持ちを抑えて簡潔に説明すれば、これはステレオタイプなプレッシングフットボールの究極形だったように感じる。そしてその中心にいたのはエメルソン・フェレイラだった。中盤から圧倒的なプレスをかけ、ゴール前を固める守備のスタイルの舵取りを完璧にこなし、カルチョシーンを席巻した。モウ・インテルにはヴェスリー・スナイデル、スヴェン=ゴラン・エリクソンのラツィオにフアン・セバスティアン・ベロンがいた事は、皆さんの記憶にも新しいだろう。このように例に挙げた、ポジションの同じ3人の主役、3つの成功したクラブを見ても、それぞれの指揮官によって、戦い方の全く違う勝者の軍団が作られている。時には、グアルディオラのバルセロナや、遡ればアリゴ・サッキのミラン、ミケルスのアヤックスといった、革新的戦術と、「複数の主役」を併せ持った“スーパー”なチームも存在するが、それはビートルズのような奇跡のユニットであり、一般的な基準で評価することは馬鹿げているので、当然今回は無視する。ジョージ・ハリスンはビートルズ以外のバンドでは確実にフロントマンを任されたであろうタレントだった。

 ではでは、ユナイテッドにおいてこれはどうだろうか。サー・アレックスは長年、チームの主役にロイ・キーンを指名していた。このアイルランドが生んだ怒れるファイターは、闘将ファーガソンのメンタリティーを難なくピッチに浸透させ、その不屈の精神はマンチェスター・ユナイテッドを、逆転がお家芸である欧州一のドラマティックな常勝軍団へと変化させたのだった。キーン退団後は、若きクリスティアーノ・ロナウドにその冠を渡し、多くの成功を掴んだが、彼は憧れのマドリッドに行く為に、チームを去る。そして、09-10シーズンに新たにキングとなったのが、ルーニーだった。“ダブル”を達成したロナウド、ルーニー、テベスの形成したトリデンテは2名の退団によって崩壊していた。そこでルーニーはこの新たなチームの攻撃における全権を担うことなる。前年まではその高いフットボールセンスで様々なポジションを任され、テベスと共に最前線からの激しいチェック、ゲームメイクからフィニッシュまで、そして頼れるロナウドの相方としての貢献をしていたルーニー。だがこのシーズンは、それにエーススコアラーとしてのタスクを追加し、最終的にリーグ戦32試合26得点の離れ業をやってのけた。シーズン前、このチームは大きく戦力を落としたと見られながらも、プレミアリーグ準優勝、カーリングカップ優勝、チャンピオンズリーグでもベスト4に入る堂々の結果を出した。それが、目に見える単なるスタッツ以上の評価を受ける成績であったことに間違いはなく、チーム・ルーニーの功績とも言えるだろう。そしてこのチームは、翌シーズンリーグ優勝とCLファイナルに進出を達成することになる。この10-11シーズンにおいては、前半戦19試合でPKの1得点と絶不調であったルーニーだが、ファーガソンは彼を起用し続けた。すると彼は2月頃から息を吹き返し(“吹き返す”というより、最早“噴射”に近い)、結果シーズンスタッツは28試合11ゴール11アシストと、しっかりエースとしての仕事をやってのけたのだった。厳しい前半戦、リーグ得点王に輝いたディミタール・ベルバトフと、ブレイク中だったハビエル・エルナンデスがいながらも、ルーニーをスターターで出し続けたことは、このチームにおける彼が1人のプレーヤー以上の存在とファーガソンがみなしていたことを証明している。しかしこのチームは、翌11-12シーズンに同じ街のライバルである“うるさい隣人”に最後の最後でトロフィーを持っていかれ、苦渋を舐めさせられる。すると昨年の夏、12-13シーズンを前にファーガソンはチーム刷新のために、あっさりと新たなキングを探し始めたのだ。ロビン・ファン・ペルシーは新たな王としてその得点力を爆発させ(彼もシーズン中にスランプに陥ったが、先発出場し続けた)、チームはトロフィーの奪還に成功し、ファーガソンはリーグタイトルと共に華々しくマネージャー人生に幕を閉じた。

しかし、ここで堪らないのがルーニーだったろう。これまで、苦しい転換期にもチームに残り、献身的に尽力してきた彼は突然その権威を奪われ、チームは優勝。シーズン終盤にはトランスファーリクエストを提出した彼は、もう心ここにあらずの状態だった。そして仕事を引き継いだモイーズは、この問題への対処を誤ったのだ。攻撃のプライオリティをファン・ペルシーに委ねるような発言をしておきながら、ルーニーの移籍騒動が現実味を帯び始めると、その発言を半ば撤回するような行動を起こした。チーム内で実際にどのようなやり取りが行われていたかは勿論私の知ったところではないが、これは実に曖昧な船出だったように思う。

案の定ユナイテッドは過去最低クラスの成績でシーズンのスタートを切っていたが(私がこれを執筆し始めたのは9月)、ここに来て盛り返してきている。そしてそのきっかけが私はストーク戦にあったと感じている。低調なフットボールに終止したものの、逆転で勝ち点3を持ち帰った。この試合でも反撃の口火を切ったのはルーニーのバックヘッドだったはずだ。さらに、曖昧な立ち位置で、持ち前の思い切りの良さが鳴りを潜めていたファン・ペルシーも、ここのところゴールマシンとしてのタスクに専念することで、復調の兆しを見せている。ひょっとするとモイーズは既にこの問題をクリアにしているのかもしれない。ウェイン・ルーニーこそが、モイーズ・ユナイテッドに最適な象徴であり、彼を主役に据えることで、チームのサイクルが上手く回ることに気づいているということだ。“労働者”としての素質を十分に持ち、チームを牽引するキャプテンシー、圧倒的な経験値がある彼は、モイーズに見いだされ、ユナイテッドで成功をおさめたのだ。そして彼はいま、ここまでいまいち調子の上がらないマルアヌ・フェライニの目覚めを待っているはずだ。ルーニーに近いダイナミズムと補完性、ポリバレントな特性を持つ大柄なこの男は、必ずや“小さなルーニー”としてキングの負担を軽減してくれるだろう。そうなるとモイーズ・ユナイテッドが暗いトンネルから抜け出す瞬間は、わりあいとすぐに訪れるだろう。

モイーズ自身を、そして栄光のユナイテッドを知る絶対のキング、ルーニー。その王をより自由にさせるクイーンのフェライニ。勝利をたぐり寄せる一撃必殺のエース、ファン・ペルシー。自陣から敵陣の懐へ、戦場を駆け回るジャックはバレンシア。そしてモイーズの“新たな労働者たち”の役を揃える最後の一枚、不気味なXファクターとなるジョーカー。それはどんなプレーヤーなのだろう。ひょっとすると我らが香川真司なのか。はたまた、大金をつぎ込むと明言したチームが、冬のメルカートで手に入れるのだろうか。漆黒のトンネルを明るく照らし、出口へと導く光。しかしどうしても、移籍が噂される黄色い稲妻、“ザ・ライトニング”の異名をとるあの男と、若きアドナン・ヤヌザイの二枚のどちらかを私はジョーカーに想像してしまう。


筆者名:榎本耕次

プロフィール:90年代後半から2000年代初期にかけてフットボールに目覚める。マンチェスター・ユナイテッド一筋。ユナイテッド、プレミアリーグ関連の記事を中心に、自由なトピックで執筆中。一番好きな選手はロベルト・バッジョ。アイドルはデイヴィッド・ベッカム。あまり大きな声では言えませんが、正直圧倒的にイングランド代表を応援しています。なにかあればTwitterアカウント: @KJE_Footballまで。異論反論大歓迎です。
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