先週末に行われたリーグアン第30節、マルセイユ対レンヌ。本拠地ヴェロドロームで戦ったマルセイユは0-1で敗れ、ここ4試合で3敗という泥沼の状況となっている。

シーズン途中からチームを率いているジョゼ・アニゴ監督については今季限りでの退任が噂されており、その後任候補には、昨年まで名古屋グランパスを率いていたドラガン・ストイコヴィッチ氏の名前が挙がっている。

ちょうどこの試合でキックインセレモニーを務めたドラガン・ストイコヴィッチ氏は、『La Provence』のインタビューに答えた。メディアではこれが監督就任に意欲を持っていると解釈されているが、実際にはそこまでのことでもなさそうである。

La Provence

ドラガン・ストイコヴィッチ

「1989年の12月だった。ベルナール・タピ会長(当時。その後八百長問題で退任)が『私は東欧のマラドーナを買いたい。ストイコヴィッチが欲しいんだ』と言ってきたんだ。そして彼は望んだものを得た。

その1時間後にACミランが私に電話をかけてきたが、遅すぎたんだ。彼らは落胆していたが、私は幸福だった。

バロンドールを狙っていたが、私の膝が脆弱すぎたね。1993年、私抜きでマルセイユは勝利した。

(レンヌ戦の結果は?)

ヴェロドロームでは、かつてマルセイユはいつも勝利が義務づけられているものだと考えていた。ホームで負けるということは、誰にとっても悲しいことだ。しかし、それも人生の1部。

今日のキーワードは「結束」である。批判に耐えなければならないが、団結し続け、働き続けなければならない。次の試合には勝つだろう。

(選手については?)

批評するのは簡単だが、それをするのは好まない。仕事は非常に困難だ。結果を勝ち取る準備が、技術的にも戦術的にも出来ていなかった。支配はしたが、ムーブが少なく、フィニッシュに持ち込めなかった。

ヴァルブエナが違いを生み出してくれるのを待っているなら、それは誤りだ。もっとグループに注目しなければならない。

(前にここに来たときは、ユーゴスラヴィア協会会長でした)

良い経験だった。4年間試合から離れた。それは自分を疲れさせたし、物事を変えるのはとても難しいことだった。だから、私はフィールド上での生活に戻った。

名古屋での経験は素晴らしいものだった。私はサッカーを愛しているし、テクニカルな勝利が好きだ。

我々は初めてチャンピオンとなり、AFCチャンピオンズリーグの準決勝でもプレーし、歴史に名を刻んだ。選手としてアーセン・ヴェンゲルに指導を受け、そしてコーチとしてタイトルを勝ち取ることが出来た。

(ピクシーは、監督としてもピクシー?)

もちろんだ。興味深いサッカーをし、モダンでテクニカルなチームを望んでいる。家に帰ったファンが、『面白いサッカーだったね』と話せるようなね。私は日本で成功を収めたし、それを変えるつもりはないよ。

私はヴェンゲルと連絡を取り続けている。全てを学ぼうとしているが、しかし、彼のコピーにはなりたくないし、そもそも不可能だ。選手の時もそうであったが、私は、私自身になりたいんだ。私のフットボールを、人々は愛してくれている。

(今は何を?)

12月に名古屋を退任した後、アメリカで家族とともに2ヶ月の休暇を過ごした。オファーはあったが、来季までは待つことにした。

ヴェンゲルは私にこう言ったんだ。『6年もクラブで働いたんだ。少し休め』とね。今、私は志を保っているクラブの話を聞く準備がある。それは私にとっても嬉しいことだ。

(ツルヴェナ・ズヴェズダやパルチザンは、また欧州で勝つことが出来ますか?)

困難……あるいは、不可能だろうね。我々は若い選手をキープ出来ない。国内のビッグクラブが、選手を売らなければいけないんだ。

私は若い頃のフィリップ・ジョルジェヴィッチ(現ナント。来季はラツィオへ移籍)と契約した。彼は将来重要な選手になると思ったからだ。

しかし、私が日本に行ったとき、彼はナントに売られた。

セルビアやクロアチアのフットボールは、これから欧州で輝ける見込みはないよ。我々は才能は持っているが、お金はないのだから。

(CLに出場するクラブを指揮したい?)

ノーとは絶対に言えないことだね。

(マルセイユは含んでいる?)

もちろんマルセイユもだよ。しかし、まずセルビアの報道陣を沈める必要があるね。オフに招待されただけだと説明して、なんとか理解してもらった。

(彼らは3ヶ月後のことを話しているの?)

知らないよ!(笑) マルセイユはもちろん特別なクラブなんだが、分からない人には分からないんだろう。

ここは美しい雰囲気を持つ、美しい街だ。このクラブの歴史の1部であることを誇りに思っている。心の場所を持っていると言うことは良いことさ。

(日本ではどんな経験から学習しましたか?)

彼らにとっては、どんなボスであるかはとても重要なんだ。だから、フィールドでは自由を与えたし、私の言うことを『聞かない』必要もあることを説明した。

私はヒールを使ったが、それは監督に教わったものじゃないからね。才能を見たかったんだ。

日本人は非常に従順なので、攻撃の面でも守備の面でも基礎的な戦術を教えることは楽しかった。

(その点でレンヌ戦は選手が……)

もう一度言うけど、批評はしたくない。それはフェアじゃないよ。フットボールは人生に似ている。成功し続けることはとても困難だ。

そして今日、ジョゼ(・アニゴ監督)はサポートを必要としている。団結は今最も大切なものだ。また、論理的に試合を分析することだね。

(ヴァンサン・ラブルヌ会長に何を言いますか?)

私は名古屋に到着したとき、選手に伝えた。『もし負けたとしても、スタイルは失うな』と。我々は働き続け、常に組織されていた。しかし、常に哲学とスタイルと共にプレーした。これは私の大きな成功だ。

個々の質は最も重要だが、私は選手だけでなく観客にも楽しみを与えたいんだ」

 

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