12月27日、『L'Equipe』は今夏ウェストハム・ユナイテッドに入団したカメルーン代表MFアレクサンドル・ソングのインタビューを掲載した。
アーセナル戦前のものということで時系列的に遅れているが、ソングはこの中で本当はアーセナルに戻りたかったことを明かしている。
アレックス・ソング
「(アーセナルと対戦しますが)
アーセナルは僕の家族のようなもの。また良く知っている人に会うことになる。僕を育ててくれたクラブなんだ。僕は17歳で入団した。アーセン・ヴェンゲルを相手に戦うというのだから、特別な試合になるだろうね。
これは初めてのことだ。彼は僕を教育し、悪い時にもいつも守ってくれた。しかし僕たちは勝たなければならないからね。もしそうなれば、僕たちはもっと前に進める。
(アーセナルを2012年に離れた)
僕はあそこに長い間残っていたが、何も勝ち取ることはできなかった。毎年、最もいい選手が失われていた。セスク、ロビン(ファン・ペルシー)、サミル(ナスリ)。もし彼らを残すことが出来ていたら、アーセナルはきっとチャンピオンになれたはずだ。
そして僕はバルセロナに行くチャンスを持っていた。誰でも、それを仕舞い込むことはできないよ。『電車は一回しか来ない』というからね。
(バルセロナではプレー時間が少なかった)
簡単ではないと分かっていた。世界で最高のチームに行ったわけだからね。しかし、ほとんどプレーできないとは思っていなかった。もし50試合で20~25回プレーできればよかったが、そうならなかった。マネージャーの選択肢の一部ではなかったし、難しかった。
(バルセロナ移籍はミスだった?)
いいや。多くのことを学んだ。より円熟した選手になった。リーガに無礼なことを言うわけではないけれど、バルセロナの練習は試合よりもレベルが高い。メッシ、チャビ、サンチェス、セスクを相手に毎日プレーするわけだからね。
(なぜアーセナルに戻らなかった?)
戻りたかったよ。しかし彼らがそれを望まなかった。それが人生だ。怒ってはいない。セスクもアーセナルに戻りたがっていたが、買戻し条項を行使しなかった。驚くべきことだよ、チェルシーでの彼を見ればね。以前よりもずっと良い選手だよ。
(ウェストハムへ行った理由は?)
僕はナポリかローマ、トルコでチャンピオンズリーグに出る可能性はあった。またマルセイユという選択肢もあった。しかし、僕の最優先事項はイングランドに戻ることだった。家族だけでなく、自分のためにもね。
(チームのスタイルについて)
僕は自分が出来ることをもたらそうと挑戦している。頭の上をボールが行き来するようなサッカーのやり方は知らないからね。アラダイス監督には話した。『もしキック&ラッシュをさせているようならば、僕は加入しない』とね。彼はそれを保証し、僕はOKと言った」