『Sambafoot』は23日、「バルセロナのブラジル代表MFパウリーニョは、トッテナムを離れた理由について話した」と報じた。
2013年にコリンチャンスからトッテナムに加入したものの、2015年夏に中国の広州恒大へと移籍していったパウリーニョ。
今夏は不安の声を受けながらバルセロナと契約したが、2年ぶりの欧州復帰という事実を感じさせない活躍を見せている。
プレミアリーグから中国に行ったのはどうしてなのか?彼は『Guardian』に対して以下のように話したとのこと。
パウリーニョ
「トッテナムを離れたことで救われたと言いたくはないが、明らかにそうしなければならなかったんだ。
難しい時間だった。アンドレ・ヴィラス=ボアスが僕を2013年の夏に買った。その彼が12月に去ってしまった。
彼は僕を求めていた。たくさんの会話をした。そして、6ヶ月でティム・シャーウッドに変わってしまった。
シャーウッドとの間に問題はない。彼は若く、良いコーチだ。しかしチームが上手くいっていなかったし、物事を変えるというプレッシャーを受けていた。
彼はいくつかの違ったことをやったが、僕はまだ最後の8~9試合でプレーしていた。
その後ポチェッティーノがやってきた。そこでの最初のポジションは、これまでやってきたものとはかけ離れていた。
3枚ならここ、2枚ならここ。異なるシステムを使っていた。プレミアリーグのような大会でポジションがはっきりしないのは難しい。左ウイングもやったよ。監督がそこに置くならプレーしなければならない。ボールを蹴りたいからね。
ポチェッティーノとの間に問題はないよ。僕は『このポジションは僕がやりたいところではない』と言ったよ。求められればやる。しかし、それは長期的にではないし、良いことでもない。そして、6ヶ月間はレギュラーでプレーできなかった。
その時、僕は『退団する時が来た』と思ったよ。どこへ?わからなかった。ただトッテナムを離れたかった。
監督は僕を信頼していなかったし、残る理由はなかった。それが2015年の4月だ。ダニエル・レヴィ会長と話し、退団と助けを求めた。
彼はいい人だし、『何があるか見ていこう』と言ってくれた」