長年に渡りサッカー界の2大巨頭に君臨してきたリオネル・メッシとクリスティアーノ・ロナウド。2人はそれぞれadidasとNikeの顔としても活躍してきた。
ただ、メッシがバルセロナでのデビュー当初に履いていたのはNikeのスパイク。その後、法廷闘争を経て、2006年にadidasに鞍替えした。
『Mirror』によれば、Nikeがメッシを失った原因は些細なものだったそう。両者の齟齬を『Wall Street Journal』が明らかにしたとのこと。
Nikeはバルサのキットサプライヤーであり、メッシは14歳から同社のスパイクを履いていた。メッシは早くからその才能を発揮しており、Nikeはすぐに大金を生み出すスポンサー契約を締結。スパイクやウェアなどを提供し、彼をグローバルマーケティングの重要人物のひとりに据えた。
Nikeは2006年のワールドカップでメッシをブランドの顔として起用するべく、彼があらゆるテクニックを披露する写真撮影まで行っている。だが、2006年に入ると、メッシ側から写真を破棄するように求める電話がかかってきた。
メッシがNikeからadidasに“移籍”するきっかけは些細な出来事だったそう。
父ホルヘがスポーツ用品をもっと送って欲しいと“変哲もない要求”をした際、Nikeの担当部署から返答がなく、そのせいで関係性が悪化したという。そのジャージ自体はさほど高価なものでもなかったが、無視されたホルヘはNikeが息子を適切に扱っていないと感じるようになった。
また、Nikeがadidasとの争奪戦に巻き込まれることを嫌がった側面もあるという。
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ただ、Nikeはメッシのadidas“移籍”を阻止しようとしている。同社は「Nikeはメッシと法的拘束力のある契約を結んでいる」として、流出を阻止するために必要なあらゆる手段を講じると主張。一方、ホルヘも譲らず、争いはスペインの法廷に持ち込まれた。
すると、Nikeはメッシとは実際には契約しておらず、法的拘束力のある契約が存在しないことがすぐに判明。Nikeが持っていたのは誓約書と呼ばれるものだったが、裁判所はメッシの流出を阻止するには不十分と判断した。
その結果、メッシは2006年2月からadidasのスパイクを着用し、同社の顔になったとのこと。