元日本代表MF橋本英郎が運営している公式Youtubeチャンネルは、2日から大黒将志のインタビューを公開している。
その第1段では、もともと中盤でプレーしていた大黒将志がストライカーへと変貌した理由について語られていた。
橋本「オグリ(大黒)はジュニアユースの時、前だけじゃなくてサイドもやってたよね」
大黒「トップ下とかやってた。FWがいいとかも全然なかったですね。攻撃的なところならどこでもよかった。普通のパスが嫌いで、スルーパスばっかり狙ったりとか、シュート打てばいいのにキーパーまで抜こうとしたりするから、よくそれで怒られてましたよ。
小中はドリブラーだったけど、高2になって西村さん(西村明宏)が来たんですよ。そこで動き出しのタイミングとか動き方を教わった。当時はどこもやってないようなダイレクトプレー(すぐゴールを目指す)をやり始めて、それが役に立ちましたね。
ガンバ大阪のトップチーム1年目で450分出て、2年目は中盤をやってたかな。そして3年目にコンサドーレ札幌に行ったんですよ。
セレッソ大阪と札幌から話があったんですけど、セレッソは隣やからアカンと言われて。時代的にもライバルやし。札幌やったらええよとなって。監督も岡田武史さんやし、あんな良い監督とできるチャンスもなかなかない。これは行くしかないと。
それで札幌に行ったら、山瀬(山瀬功治)がいたんですよ。俺もトップ下やったけど、これは山瀬のほうがうまいなと(笑)。それでトップ下はやっぱりやめようと思って、諦めがついたというか。
あと、ガンバに帰ったときにフタ(二川孝広)もいたんですよ。よく考えたらパスの受け手になったほうが得やなと思って。西野(朗)監督に『FWやりたいです』って言ったんですよ」
ユース時代は中盤でプレーし、スルーパスやドリブルを好んだという大黒将志。しかしながら札幌での山瀬功治との出会い、そして同じガンバ大阪のレジェンドである二川孝広の存在が大きかったようだ。
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なお、その二川孝広とは今年FCティアモ枚方で監督とヘッドコーチの関係となる。