韓国プロ野球(KBO)史上唯一の「4割打者」で、日本プロ野球でも首位打者を獲得するなど日韓で活躍した白仁天(ペク・インチョン)氏が、8月15日に亡くなった。83歳だった。日韓の野球界の架け橋となったレジェンドの訃報に、両国の野球ファンや関係者に悲しみが広がっている。

白仁天氏、一時死去と伝わるも心拍が再開

白氏は近年4度の脳梗塞を患っていたが、倒れる前日に受けていた定期健診では比較的良好な状態だったという。しかし翌14日の早朝、自宅で心肺停止の状態で発見され、病院へ救急搬送された。

米・韓の複数メディアによると、搬送先の病院で医師が「呼吸が止まった」と友人に伝えたため、友人や救急隊員が葬儀の準備を始め、白氏が定期健診を受けていた別の病院(檀国大学校病院)へ移送する動きが進んだ。搬送先の病院で心肺蘇生を受けたところ、いったんは血圧と脈拍が戻った。

その後、家族の希望で定期健診を受けていた檀国大学校病院へ転院し、集中治療室で人工呼吸器を装着して懸命の治療が続けられたが、回復には至らず、翌15日午前6時41分、脳出血の治療を受けていた同病院で息を引き取った。

張本氏「大切な後輩」と白仁天氏を悼む

画像: 張本氏「大切な後輩」と白仁天氏を悼む

白氏は日本と韓国の両球界で金字塔を打ち立ててきた。1962年に東映フライヤーズ(現・日本ハム)に入団して日本プロ野球(NPB)でのキャリアをスタートさせると、強打の捕手・外野手として頭角を現す。1975年には太平洋クラブライオンズ(現・西武)で打率.319をマークし、パ・リーグ首位打者に輝いた。外国人選手への警戒が根強かった当時のNPBで、韓国人選手が打撃タイトルを獲得したのは白氏が初めてだったという。

日本球界で19年間にわたりプレーした後、「いつか母国で野球を広める」という思いを果たすため帰国。1982年に発足したKBOのMBC青龍(現・LGツインズ)に選手兼任監督として加わった。初年度に打率.412という記録で初代首位打者に輝き、今もなお韓国プロ野球史上唯一の「シーズン4割打者」として記録されている。

引退後はLGツインズを韓国シリーズ制覇に導き最優秀監督賞を受賞するなど、指導者としても手腕を発揮した。2014年には最高のアマチュア打者を称える「白仁天賞」が創設されるなど、日韓の野球発展に生涯を捧げたその功績は、今後も色褪せることはない。

日本プロ野球のレジェンド・張本勲氏は、韓国メディア『フィナンシャルニュース』などを通じて追悼コメントを寄せ、「私より3歳年下の大切な後輩であり、同じ時代を共に走った仲間」と悼んだ。1962年、東映フライヤーズの看板選手だった張本氏が、来日直後の白氏の才能を球団首脳に直接推薦した縁もあるという。

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