夏休みの朝、母から教わった一本のサーブ
私は中学2年生の夏、テニス部に所属していました。母は学生時代にテニスをしていた経験者で、夏休みの朝は市営コートまで一緒に出向き、サーブの打ち方を教えてくれたのです。
ラケットの握り方から直され、ボールの当たる音が変わったときはうれしくてたまりませんでした。教わったフォームで部活に行けば褒めてもらえる。そう思っていました。
「その打ち方はうちでは教えていない」顧問の一言
ところが部活で同じように打つと、顧問は「その打ち方はうちでは教えていない」と一蹴しました。理由の説明はありませんでした。
家で相談すると、母は「学校のやり方に従いなさい」と言いましたが、表情は硬いままでした。どちらの言葉を信じればよいのか分からず、私はコートに立つこと自体が嫌になっていったのです。
練習試合の後、母の教えをノートにして差し出した
夏の練習試合が終わった日、私は母から教わった内容をノートに書き出し、思い切って顧問のところへ持っていきました。
顧問はしばらく黙ってページを見つめた後、「狙いは同じだ。時代によってグリップの呼び方が違うだけ」と説明し、二つの言い方を並べて同じ点と違う点を整理してくれました。板挟みだと思っていたものが、同じ結論を指していたと分かった瞬間でした。
「そこまで言われたら負けね」母が引き下がった夜
帰宅して顧問の説明を伝えると、母は笑って「そこまで言われたら負けね」と引き下がりました。その夏を境に、私は教わったことを自分でノートへ書き留めるようになったのです。
片方の言葉を丸ごと信じるのでも、もう片方を切り捨てるのでもなく、書き出して並べてみる。両方を見比べる癖がついてから、練習に向かう足取りは軽くなりました。高校でもテニスを続けています。
まとめ
家庭と部活で言われることが違い、どちらにも従えず苦しくなる。中学2年のMさんが選んだのは、母の教えをノートに書き出して顧問に見せることでした。
二人の言い分は、呼び方が違うだけで同じ場所を指していたのです。教わった言葉が食い違ったときは、まず両方を書き出して並べてみてください。
【体験者:20代女性・大学生、回答時期:2026年8月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
Qolyコラムニスト:Yutel_06
幼少期からさまざまなスポーツに親しんできた、10代の現役学生ライター。合気道やテニス、アーチェリーなど、ジャンルの異なる競技と向き合ってきた。自身の経験に加え、周囲にもスポーツに取り組む友人や知人が多く、競技の裏側や選手ならではの悩み、恋愛、人間関係など、リアルなエピソードに触れる機会がある。そうした実体験や身近な声をコラムとして執筆している。

