小学生の頃から、ずっと同じ仲間だった
私が育ったのは、小さな田舎町です。
野球を始めた小学生の頃から、中学校に進学しても、チームの顔ぶれはほとんど変わりませんでした。
一緒に練習して、一緒に試合に出る。お互いの得意なことも苦手なことも、性格もなんとなく分かっている。
そんな仲間たちと野球を続けていました。
ところが中学校に進学すると、練習環境もそれまでとは変わりました。さらに手術後の療養も重なり、思うようにプレーできない時期が続きました。
特に苦しんだのが、バッティングでした。
それまでできていたことが、なぜかできない。
打席に立っても結果が出ず、完全にスランプに陥っていました。
誰も「頑張れ」と言わなかった
なんとか抜け出したくて、自主練習を続けました。
それでも、すぐに結果が出るわけではありません。
そんな私に、チームメイトたちは特別な言葉をかけませんでした。
「頑張れ」と励ますわけでも、「気にするな」と慰めるわけでもない。
いつも通り話して、いつも通り一緒に野球をする。
当時はそれを特別なことだとは思っていませんでした。
でも、今振り返ると、彼らは私が苦しんでいることに気づいていなかったわけではなかったのだと思います。
小学生の頃から何年も一緒にいた仲間です。
落ち込んでいるときに何かを言われるより、自分で納得するまでやらせてほしい。
そんな私の性格まで、きっと分かっていたのでしょう。
県大会を決めた三塁打
そして迎えた、県大会出場を懸けた試合。
打席に立った私は、三塁打を放ちました。
勝負を決める一打でした。
その瞬間、チームのみんなが一気に沸きました。
自分の一打で県大会出場を決められたことは、もちろんうれしかった。
それと同じくらい覚えているのが、仲間たちが自分のことのように喜んでくれたことです。
苦しい時期にたくさんの言葉をかけてきたわけではない。
それでも、ずっとそばにいて、私が自主練習を続ける姿も、結果が出ずに苦しむ姿も見ていた仲間たちでした。
だからこそ、あの三塁打をみんなが喜んでくれたことが、何よりうれしかったのを覚えています。
何も言わないことも、支えることだった
誰かが苦しんでいるとき、「頑張れ」と声をかけることが励ましになることもあります。
でも、人によっては、何も言わずにいつも通り接してもらう方がありがたいこともある。
私にとって、仲間たちとの関係は後者でした。
小学生の頃から同じメンバーで野球をしてきたからこそ、言葉にしなくても分かってくれていたことがあったのだと思います。
励ますことだけが、仲間を支える方法ではない。
一緒に過ごした時間の中で相手を知り、必要以上に踏み込まず、それでもそばにいる。
県大会を決めたあの三塁打を思い出すと、長い時間を同じスポーツに打ち込んできた仲間だからこそ生まれた、そんな信頼関係があったのだと思います。
【体験者:30代・男性、回答時期:2026年8月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
Qolyコラムニスト:サトミ
学生時代は約10年間スポーツに打ち込み、現在は2児を育てる30代。競技経験と保護者としての経験を生かし、スポーツの魅力や親子の成長、スポーツの現場で生まれる人間ドラマを中心に執筆している。

