マルコ・ファン・バステン

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オランダ代表:58試合24ゴール(1983-1992)

近年は「FIFA最高技術開発責任者」として“奇抜なアイディアで騒がせるおじさん”と化しているが、彼こそヨハン・クライフの後継者と呼ばれた不世出の天才ストライカーだ。

当時世界で最も厳しいといわれたセリエAでゴールを量産。ルート・フリット、フランク・ライカールトとのオランダ人トリオでミラン黄金期を築き上げた。

国際舞台においても1988年欧州選手権の決勝で角度のないところからゴールを決め、オランダに今なお唯一の国際タイトルをもたらしている。

画像: 全てが完璧だと思われたがケガに泣いたファン・バステン (C)Getty Images

全てが完璧だと思われたがケガに泣いたファン・バステン

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ケガによって30歳で現役引退とピークの期間は短かったが、今日まで伝説的に語られるのはそれほど彼のインパクトが大きかったということであろう。

ルート・ファン・ニステルローイ

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オランダ代表:70試合35ゴール(1998-2011)

現在PSVアイントホーフェンの指揮官を務めているルート・ファン・ニステルローイ。

奇しくも前述のクライファートと全く同じ年月日に生まれたFWは、クライファートが10代からスーパースターとして脚光を浴びたのに対しブレイクは遅かった。

しかし開花して以降は怒涛の勢いでゴールを量産する。マンチェスター・ユナイテッドのエース、またプレミアリーグ最高のFWとして一時代を築いた。

画像: 全く同じ日に生まれたファン・ニステルローイとクライファート (C)Getty Images

全く同じ日に生まれたファン・ニステルローイとクライファート

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クライファートほどの万能タイプではなかったものの得点能力や勝負強さは圧倒しており、キャリア全体での評価は逆転したといえるだろう。

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