3位:フランク・ライカールト

アヤックス所属:1980~87、1993~95
オランダの歴史上最もパーフェクトなミッドフィルダーであったと評価されるライカールト。190cmの身長を持ちながらも技術、戦術、パワー、スピードを兼ね備え、さらにエレガントなスタイルを持っていた。
スリナム出身のサッカー選手を父に持ち、ルート・フリットとともにアムステルダムで育った。1979年にアヤックスへと加入すると、17歳でトップチームに引き上げられてすぐにレギュラーを奪取した。1987年にヨハン・クライフ監督と衝突するまで7シーズンに渡って活躍した。
その後ACミランで中心的な役割を果たし、そして1993年にアヤックスへと復帰。ファン・ハール監督の下でチャンピオンズリーグを制覇した1995年に現役引退した。
監督としてもバルセロナを黄金期に導くことに成功し、一時代を築いている。
2位:ピート・カイザー

アヤックス所属:1961~1974
ヨハン・クライフとともにアヤックスの「トータル・フットボール」を支えた左ウイング。1961年に下部組織から昇格してデビューし、若くしてインサイドアタッカーのレギュラーを獲得したものの、カップ戦でヘディングシュートの際に頭蓋骨を骨折する大怪我を負う。
二度と意識が戻らないかもしれないという怪我から8ヶ月ものリハビリを経て奇跡の復帰を果たすと、リヌス・ミケルス監督によって左ウイングにコンバートされた。それからアヤックスのワン・クラブ・マンとしてプレーし続けた。
1974年にハンス・クラーイ監督との確執をきっかけに引退するとサッカー界を離れたが、2001年にはアヤックスでスカウトとして復帰。更に技術顧問や名誉会員として活動し、2014年からは代理人として会社を設立していた。2017年に肺がんのため死去している。
同年代のヨハン・クライフのほうが有名であるが、クライフ自身も「彼は理想のウインガー」と評価した名選手だった。1973年にアヤックスの選手に「キャプテンを誰にするか」と無記名投票を行ったところ、クライフを上回る得票を得たことも。
1位:ヨハン・クライフ

アヤックス所属:1964~73、1981~83
10歳の誕生日にアヤックスの下部組織に加入したヨハン・クライフ。近所に住んでいたファン・デル・フェーンという人物がアヤックスのユースコーチを務めており、クライフはその才能を認められて練習参加もなしに加入することができたという。
クライフ自身は15歳まで野球の方を好んでいたというが、その後コーチの誘いでサッカーに専念。そして1964年にトップチームでデビューを果たした。それからすぐにチームの中心選手へと成長し、1965-66シーズンは25ゴールを記録してリーグ優勝に導いた。
名将リヌス・ミケルスとともにポジションチェンジとプレッシングを導入した「トータル・フットボール」と呼ばれる戦術の根幹となり、バルセロナとオランダ代表でも一時代を築いた。
1978年に一度引退したものの、その後投資の失敗で抱えた損失をカバーするためにアメリカで現役復帰し、それから数年後にアヤックスへと復帰。晩年も再び赤白のユニフォームを着て数年間プレーした。
筆者:石井彰(編集部)
カズに憧れて全身赤のスーツを買ったことで校内一の人気者になったが、中身が伴わず一発屋で終わったというエピソードを持つ島根県出身のエディター。その影響か赤いチームを好み、ヴァランシエンヌ、レイションエス、ノッティンガム・フォレストなどを応援している。
