『ウマ娘プリティーダービー』の商業的成功や、運営会社オーナーが馬主の競走馬フォーエバーヤングの世界的活躍により、近年大きな注目を集めている競馬界。

その中で欠かせないのが、馬にまたがるジョッキー(騎手)だ。G1を筆頭に、週末に大きな話題になる反面、普段の生活を知る機会は意外に少ない。

そこで今回Qolyでは、JRA(日本中央競馬会)の元騎手である和田翼氏(以下翼氏)に、様々な角度から競馬界のリアルを聞いた。

テイエムオペラオーに憧れて

1994年生まれで現在32歳の翼氏。2013年にJRAから騎手デビューし、2025年9月をもって引退。生涯通算成績は123勝だ。

画像: 現役時代の和田翼騎手(本人提供)

現役時代の和田翼騎手(本人提供)

祖父が厩務員で、弟もトレーニングセンター(トレセン)に勤務している。出身地もトレセンがある滋賀県栗東市で、まさに競馬一家。そして叔父にあたるのが、騎手としてJRA通算1534勝を誇り、2026年をもって調教師に転向した和田竜二師だ。

竜二師といえば、2000年前後にかけて大活躍し、現在は先述のウマ娘にも実装されている“世紀末覇王”テイエムオペラオーの主戦騎手として広く知られている。

幼少期にその雄姿を見た翼氏は同じく騎手となることを志す。中学校卒業と同時に競馬学校に入学し、3年間の期間を経て、アグネスフライトやメジロラモーヌなどの主戦騎手としても知られている河内洋厩舎にてデビューを果たした。

過酷な生存競争

G1など週末の中継で華々しく映るジョッキーだが、そもそも重賞レースの鞍上を任されるのは一握りの存在。近年は、短期免許を取得して来日する外国人騎手もあって、より一層の狭き門となっている。

レイホーロマンス(エリザベス女王杯、愛知杯、中山牝馬S、福島牝馬S、マーメイドS)を筆頭に、スズカディープ(日経新春杯、小倉大賞典、中日新聞杯)、トップランナー(日経新春杯)、シゲルミズガメザ(小倉2歳S)、カクリョウ(デイリー2歳S)、サンライズソア(ユニコーンS)、ヴェゼール(ユニコーンS)、ゼロス(阪急杯)、ニザエモン(北九州記念)、ニシノビークイック(京都金杯)、ヒマラヤテンカ(小倉2歳S)、コスモバルバラ(マーメイドS)といった馬たちで重賞に挑戦してきた翼氏。勝ち負けというレースもあったが、勝利経験はない。

重賞レースだが、勝利はもちろんまず乗鞍を確保しなければならない。競馬関係者の実績といえば、「G1勝利」がまず注目されるが、そこへ出走できるだけでも勲章ものなのだ。

先述の通り、翼氏の親族は竜二氏をはじめとした競馬一家。人としても“サラブレッド”だ。しかし、ブラッドスポーツと呼ばれる競馬であっても、優勝賞金が億を超えることもある重賞においては“七光り”は通用しない。実績のある外国人騎手起用も、賞金獲得を主眼に置けば理にかなった戦略でもある。そのため起きるのが「乗り替わり」だ。

翼氏もまた、その憂き目に何度もあってきた。それが理とはいえど、心中穏やかではなかっただろう。

「乗せ続けてもらえるにはどうするか。仲良くなるや調教に乗ることも大事ですが、結局は勝ち続けるしかないんですよ」

翼氏の同期は3名おり、2026年現在は2名が現役生活を続ける中で、通算勝利数はなおトップだ。(重賞は伴啓太騎手が1勝)

春のG1レースでは、今村聖奈騎手鞍上のジュウリョクピエロが「オークス」で勝利。22歳でのクラシック制覇を果たし、“新時代の扉”が開きかけた。しかし直後、「安田記念」「宝塚記念」でレジェンド武豊騎手が、それぞれシックスペンス・メイショウタバルで二週連続勝利に、二週連続最年長G1勝利記録を更新。秋に向けて“施錠”されてしまった。

こういった事実からも、過酷で厳しい生存競争だ。

重量オーバーは「退学」

厳しさは競馬学校時代からもあった。特に大きいのが体重管理だ。競馬では「斤量」と呼ばれる、馬の負担重量がレースごとに定められており、騎手もそれに沿った体重でなければならない。

翼氏によると、競馬学校時代は当時で47.5キロ、さらに入学時点では44キロ以内と定められている。騎手では先述の武豊騎手の弟で、現調教師である武幸四郎師が175センチの長身で知られる。

武豊騎手自身も170センチと、高身長の部類だ。翼氏は160センチであるが、競馬学校を受験するのは中学校卒業時が大半で、一般的には成長期で、成長に合わせて体重も増加する中で抑制しなければならない。公営競技であるので、騎乗にも影響する重量は厳格に定められている。そしてそれは競馬学校にも当てはまる。

「もしオーバーしたら(最終的に)退学処分。100グラムでもオーバーしたらアウトです」

競馬だけが人生じゃない

現役時代の翼氏は、メジロラモーヌ、アグネスタキオン、ニホンピロウイナー、ダイイチルビー、メジロブライトなど、騎手時代に数多くの名馬とコンビを組んだ河内洋厩舎でデビュー。その後フリーに転向した後、谷潔厩舎に所属したという経歴の持ち主だ。なお河内厩舎に所属したのは、祖父が勤務していた縁からという。

“一般目線”でいえば、サラリーマンからフリーランス。そしてまたサラリーマンに戻ってくるようなものである。例えば特定のホースクラブの主戦になることで、実質的な“所属”と見なされる場合もあるが、それもまた一握りの存在だ。

フリーに転向したのは通算100勝を達成した節目で、河内師と相談して決めた。しかし本格転向した2018年以降の勝利数は「23」。翼氏が100勝を達成したのはデビュー5年目の2017年で、単純計算すると年間平均20勝で、2025年の年間リーディングでいえば、195人中53位相当。悪くないどころか上位層に位置づけられ、若手のホープといえるだろう。

低迷の原因としては、所謂“馬集め”に苦労したこともあるが、大きな影響を受けたのが引退の要因となった2018年7月に「七夕賞(G3)」のレース中に起きた落馬事故だ。

くも膜下出血を発症し生死をさまよう中で、3か月という期間で年内復帰。翌2019年には生涯唯一であるG1騎乗を、エリザベス女王杯にてレイホーロマンスで叶えるなど、必ずしも下降線の一途をたどったわけではない。

「思った動きが出来なくなったところはありますね」

しかし、2022年に調教中の落馬で再度負傷。さらに“決定打”となったのが、2024年4月に、阪神競馬場で藤岡康太騎手が落馬して死亡。公私ともに親交があった翼氏は、訃報に大きなショックを受け告別式では号泣。同時にこんな思いが去来したという。

「僕も1回死にかけたから、競馬で人生終わりたくないなって思ったのが一つ大きかったですね。人生1回やし」

落馬事故からの復帰といえば、北村友一騎手が2021年のレース中の落馬で全治1年以上離脱したのち2022年に復帰。その後、クロワデュノールとのコンビで、ホープフルステークス・日本ダービー・大阪杯・天皇賞春を制覇するなど活躍している。

が、故藤岡康太騎手のようなケースもあれば、翼氏のように生還を果たしたケースもある。翼氏によると、落馬事故による「恐怖心」はなかったという。

「『フラッシュバック』はなかったんですよ。当時のことを覚えてないんでね」

(続く)

取材・執筆:向山純平

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